第百十一号駆潜特務艇
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艦歴 | |
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建造所 | タンジョン・プリオク船渠 |
起工 | |
進水 | 1941年 |
竣工 | 1942年捕獲 12月20日艦籍編入 |
喪失 | 1943年7月22日戦没 |
除籍 | 1943年11月1日 |
要目(整備完成時) | |
排水量 | 基準:25トン |
全長 | 18.90m |
全幅 | 水線幅:3.90m |
吃水 | 1.10m |
機関 | ガソリン機関2基、2軸、400馬力 |
速力 | 12.0ノット |
航続距離 | |
燃料搭載量 | |
乗員 | |
兵装(推定) | 13mm単装機銃2艇、爆雷4個 |
第百十一号駆潜特務艇[1](だいひゃくじゅういちごうくせんとくむてい)は、日本海軍の駆潜特務艇。旧オランダ海軍小型駆潜艇P13またはP14。1942年3月に捕獲、1943年戦没。
艦歴
[編集]旧オランダ海軍P9級駆潜艇で同級の8隻(P9からP16)と共に日本軍の侵攻により多くが沈没処分にされていた。日本軍はそのうち5隻を浮揚し、一番状態が良かったらしい1隻のみが1942年(昭和17年)12月20日に日本軍の艦籍に編入された。旧P13またはP14のどちらかであるが、混乱のため正確なことはわからない。
翌1943年(昭和18年)に整備が完成したが、同年7月22日にスラバヤで爆撃を受け沈没した。11月1日除籍。なお他の同級艇は戦後オランダに返還された。
脚注
[編集]- ^ 昭和17年12月20日付 海軍 達第340号。
参考文献
[編集]- 「世界の艦船 増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史」海人社、1996年2月号増刊、第507集
関連項目
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