第1戦車群
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第1戦車群 | |
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第1戦車群の群旗 | |
創設 | 1952年(昭和27年)11月22日 |
廃止 | 2014年(平成26年)3月26日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 群 |
兵科 | 機甲科 |
所在地 | 北海道 恵庭市 |
編成地 | 北恵庭 |
上級単位 | 北部方面隊 |
担当地域 | 恵庭市、北広島市 |
第1戦車群(だいいちせんしゃぐん、JGSDF 1st Tank Group)は、かつて北海道恵庭市の北恵庭駐屯地に駐屯していた北部方面隊直轄の機甲科部隊。2014年(平成26年)3月26日に廃止された。
概要
[編集]自衛隊草創期、対ソビエト連邦重視の観点から当初独立部隊として編成され、その後、第1戦車団への増強改編に伴い同団の基幹部隊[1]となる。戦車団廃止後は北部方面隊直轄部隊として残留したが、冷戦の終結及び戦車削減などの影響から徐々に部隊規模を縮小していき、2014年3月、60年余りの歴史に幕を閉じた。
所属隊員の大多数は即応予備自訓練を終了しフル化改編する第73戦車連隊へ異動。保有していた74式戦車は全車廃車処分。90式戦車は第7偵察隊へ管理替え。
部隊マークは、白地の北海道にサソリをくみあわせたもの。2000年ごろから使用していた。
沿革
[編集]独立第1特車大隊
第101特車大隊
第1特車群(3個特車大隊編成)
第1戦車群(3個戦車大隊編成)
- 1962年(昭和37年)1月18日:第1特車群が第1戦車群に称号変更、併せて第101特車大隊が第101戦車大隊に称号変更。
第1戦車群(旧第101戦車大隊)
- 1974年(昭和49年)8月1日:第1戦車群の第1戦車団改編に伴い、第101戦車大隊が第1戦車群(5個戦車中隊基幹)に改編。
- 1978年(昭和53年)5月29日:74式戦車を装備。
- 1981年(昭和56年)3月25日:第1戦車団廃止に伴い、第1戦車群が北部方面隊直轄部隊となる。
- 1987年(昭和62年)3月26日:各戦車中隊を3個小隊から4個小隊に増強改編。
- 1991年(平成 3年)3月29日:戦車の北転事業に伴い新編された第320戦車中隊を編合。
- 2000年(平成12年)3月28日:部隊改編、後方支援体制変換に伴い、整備部門を北部方面後方支援隊第101戦車直接支援隊へ移管。
- 2004年(平成16年)3月29日:第320戦車中隊が廃止。
- 2007年(平成19年)3月19日:第305戦車中隊が廃止。
- 2013年(平成25年)3月26日:第304戦車中隊が廃止[4]。
- 2014年(平成26年)
- 3月15日:隊旗返還。
- 3月26日:第1戦車群が廃止[5]。
廃止時の部隊編成
[編集]- 第1戦車群本部
- 本部管理中隊「1戦群-本」
- 第301戦車中隊「1戦群-301」
- 第302戦車中隊「1戦群-302」
- 第303戦車中隊「1戦群-303」
整備支援部隊
[編集]歴代の第1戦車群長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 山口志郎 | 1974年 | 8月 1日 - 1976年 8月 1日第1戦車群付 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室勤務 |
2 | 梅野昭一 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 3月15日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部 教育課長 |
3 | 中冨逸郎 | 1978年 | 3月16日 - 1979年 7月31日第1戦車群副群長 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 |
4 | 澤田憲一 | 1979年 | 8月 1日 - 1981年 3月15日第7師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課勤務 |
5 | 田川宏 | 1981年 | 3月16日 - 1982年 3月15日第1戦車団副団長 | 第7師団司令部勤務 |
6 | 柚木文夫 | 1982年 ※1983年 7月 1日 陸将補昇任 | 3月16日 - 1983年 7月31日防衛大学校教授 | 陸上自衛隊九州地区補給処副処長 |
7 | 國谷裕 | 1983年 | 8月 1日 - 1986年 3月16日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第1班長 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
8 | 渡邊和義 | 1986年 | 3月17日 - 1988年 3月31日防衛研究所所員 | 陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 |
9 | 水上謙一 | 1988年 | 4月 1日 - 1989年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
10 | 伊東一憲 | 1989年 | 8月 1日 - 1991年 7月31日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第2班長 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
11 | 小西正徳 | 1991年 | 8月 1日 - 1993年11月30日技術研究本部 技術開発官(陸上担当)付 総括室長 | 第8師団司令部幕僚長 |
12 | 山木満 | 1993年12月 | 1日 - 1995年 6月29日統合幕僚学校学校教官 | 自衛隊山口地方連絡部長 |
13 | 安藤博 | 1995年 | 6月30日 - 1997年12月 7日陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
14 | 曽山和美 | 1997年12月 | 8日 - 2000年 8月 1日陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 | 退職(陸将補昇任) |
15 | 福田泰正 | 2000年 | 8月 1日 - 2002年12月 1日陸上自衛隊幹部候補生学校学校教官 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部 教育課長 |
16 | 鈴木和人 | 2002年12月 | 2日 - 2005年 3月31日陸上自衛隊幹部学校教育部教務課長 | 中部方面総監部監察官 |
17 | 青木紀男 | 2005年 | 4月 1日 - 2007年 7月31日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 自衛隊富山地方協力本部長 |
18 | 北原秀章 | 2007年 | 8月 1日 - 2009年 3月23日東北方面総監部防衛部訓練課長 | 統合幕僚監部総務部人事教育課 国際人道業務室長 |
19 | 三明淳智 | 2009年 | 3月24日 - 2010年11月30日中部方面総監部法務官 | 陸上幕僚監部総括副法務官 |
20 | 成清浩一 | 2010年12月 | 1日 - 2012年 3月22日自衛隊帯広地方協力本部長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
末 | 石橋淳弘 | 2012年 | 3月23日 - 2014年 3月25日陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
歴代主要装備
[編集]- M24軽戦車
- M4A3E8戦車
- M41軽戦車
- 61式戦車
- 74式戦車
- 90式戦車
- M3A1装甲車
- 60式装甲車
- 73式装甲車
- 78式戦車回収車
- 90式戦車回収車
- 78式雪上車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 64式7.62mm小銃
- 11.4mm短機関銃M3A1
- 60式106mm無反動砲
部隊改編
[編集]第1特車群新編時(1956年(昭和31年)1月25日から)
第1戦車団新編時(1974年(昭和49年)8月1日から)
- 第1戦車群本部
- 本部管理中隊「1戦群-本」
- 第301戦車中隊「1戦群-301」
- 第302戦車中隊「1戦群-302」
- 第303戦車中隊「1戦群-303」
- 第304戦車中隊「1戦群-304」
- 第305戦車中隊「1戦群-305」
最大規模の編成時(1991年(平成 3年)3月29日から)
- 第1戦車群本部
- 本部管理中隊「1戦群-本」
- 第301戦車中隊「1戦群-301」
- 第302戦車中隊「1戦群-302」
- 第303戦車中隊「1戦群-303」
- 第304戦車中隊「1戦群-304」
- 第305戦車中隊「1戦群-305」
- 第320戦車中隊「1戦群-320」
ギャラリー
[編集]- 第1戦車群本部看板
- 第1戦車群看板
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状』アルゴノート、2016年。
- 菊池征男『陸上自衛隊機甲科全史』イカロス出版、2017年。