笹谷峠

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笹谷峠
山形県側から撮影。向って左側のトンネルが上りで、右側が下り。
山形自動車道笹谷トンネル
所在地 宮城県柴田郡川崎町山形県山形市
座標
笹谷峠の位置(日本内)
笹谷峠
北緯38度13分41秒 東経140度28分10秒 / 北緯38.22806度 東経140.46944度 / 38.22806; 140.46944座標: 北緯38度13分41秒 東経140度28分10秒 / 北緯38.22806度 東経140.46944度 / 38.22806; 140.46944
標高 906 m
山系 蔵王連峰
通過路 国道286号
山形自動車道笹谷トンネル
プロジェクト 地形
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笹谷峠にある斎藤茂吉の歌碑
斎藤茂吉の歌碑

笹谷峠(ささやとうげ)は、宮城県山形県とを結ぶ最古のである。標高906m。

歴史[編集]

延喜式において、多賀城北緯38度18分23.8秒 東経140度59分18.2秒 / 北緯38.306611度 東経140.988389度 / 38.306611; 140.988389 (多賀城跡))から秋田城北緯39度44分25.1秒 東経140度4分45.2秒 / 北緯39.740306度 東経140.079222度 / 39.740306; 140.079222 (秋田城跡))へと向かう道として開削されたと言われており、山形側の最上郷(現在の山形市域)に「最上駅」が置かれたとされているが、最上駅の場所について諸説あり遺構も見つかっていないことから、史実として確定していない。

平安時代になると、沿道の有耶無耶の関や阿古耶の松が歌に詠まれるようになり、文献的に当道の存在を確認することができる[1]。「笹谷峠」は、阿古耶姫の悲恋伝説にまつわる「ささやき峠」が語源であると伝承されているが、伝説はフィクションであり、実際には笹が多い現地の植生によるものと考えられる。

江戸時代には仙台城北緯38度15分11.6秒 東経140度51分22.9秒 / 北緯38.253222度 東経140.856361度 / 38.253222; 140.856361 (仙台城址))と山形城北緯38度15分19秒 東経140度19分40.6秒 / 北緯38.25528度 東経140.327944度 / 38.25528; 140.327944 (山形城跡))を結ぶ最も主要なルートであり、「笹谷街道」と呼ばれ、参勤交代にも使われた。山形藩領では関沢(関根とも)に番所が置かれた。仙台藩領では川崎宿(現在の川崎町川崎、北緯38度10分32.1秒 東経140度38分37秒)で2つに分岐し、宮宿(現在の蔵王町宮、北緯38度2分31.4秒 東経140度39分4.9秒)で奥州街道(現在の国道4号)に至るルート(明治期以降は「羽前街道」と呼ばれる)[1]と、仙台城の城下町コナーベーションしていた長町宿北緯38度13分45.7秒 東経140度53分5秒 / 北緯38.229361度 東経140.88472度 / 38.229361; 140.88472 (旧・長町宿の南端に位置する笹谷街道の起点))に至るルートとがあった(後者は一部を二口街道と重複)。

1893年明治26年)に山形県側、1895年(明治28年)に宮城県側が改修され、馬車の往来が可能になった[1]。これが現在の国道286号に継承されている。

現状[編集]

国道286号が通っており、四輪自動車での通行も可能である。但し、現在はわずか1車線の狭隘区間で、車重と車長の制限があることに加え、冬期は閉鎖される。自動車用代替路として、峠の下を貫通する山形自動車道笹谷トンネルがある。1994年に宮城県側で起こった災害のため、2002年平成14年)に復旧工事が終了するまでの8年間もの長期間、通行止めであった。

古来からの道は、宮城県側はひとつ南隣の尾根に、山形県側は現道を縫うような形で残っており、こちらは遊歩道として整備されている。

峠には明治・大正・昭和を生きた歌人斎藤茂吉の歌碑もある。峠から登山道を南に少し入った場所には、山形県立山形工業高等学校山岳部が管理する山小屋(通称「山工小屋」)があり、蔵王連峰縦走ルートにとって重要なポイントである。

関連作品[編集]

  • 源俊頼「すぐせやな 名ぞいなむやの関をしも へだてて人に ねをなすからん」(散木奇歌集)
  • 斎藤茂吉「ふた國の 生きのたづきの あひかよふ この峠路を 愛しむわれは」
  • 西島三重子『笹谷峠』(歌謡曲。詞:佐藤順英、曲:西島三重子)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 羽前街道とは?(宮城県 2012年9月10日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]