篠塚正典

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篠塚 正典(しのづか まさのり、1960年4月2日 - )は、日本のグラフィックデザイナー

来歴[編集]

長野オリンピツクロゴマーク

東京都江東区出身[1]。歌手・松本ちえこのLPジャケットのデザイン一般公募で1位は逃したものの入選して、ジャケット裏部分に篠塚のデザインが採用された。これが篠塚にとって世の中に出た最初の作品ではないかという[2]。1979年に東京都立九段高等学校を卒業[1]

進学した多摩美術大学グラフィックデザイン科を1984年に卒業後、渡米[1]アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(ゼミの恩師でもある咽原省三の出身校[3])で、グラフィックデザインとパッケージデザインを学び、首席で卒業[4]。その後、ランドーアソシエイツに入社しデザイナーとなる[5]

転勤希望を出して1992年に東京支社へ異動し[2][4]、翌1993年に長野オリンピックシンボルマークオリンピックエンブレム[6])をデザインした[5]。デザイン会社や広告代理店を対象にしたコンペでランドーアソシエイツへの依頼が決まった後[7]、世界中の社員100人以上から1000点以上の作品が集まり、3作品に絞られた末に選ばれたものだった[2][8](エンブレム制作チームを率いたのは同社のフミ・ササダ[9])。ランドーアソシエイツは、同大会の競技ピクトグラムデザイン、デザインマニュアル等も担当した[10]

1995年4月にランドーアソシエイツを退社し同年7月[1]、ブランディングデザインとパッケージデザインのデザイン会社「株式会社イデアクレント(IDEA CRENT)」を設立[5]

2015年7月、オリンピックエンブレムについて、「見る人が共感できるデザインをしなくてはいけない」「説明なしで直感的に感じてもらえるデザインでなければいけない」との考えを明かした[11]

主な作品[編集]

シンボルマーク・ロゴ[編集]

その他[編集]

教職歴[編集]

2015年7月閲覧時点[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Designers Profile - 株式会社イデアクレント(IDEA CRENT)
  2. ^ a b c シリーズ銀座×人 VOL.6 株式会社イデア クレント 代表取締役 篠塚正典 - Ginza Official、2012年10月15日
  3. ^ デザイナーに役立つひとりごと。 「コンセプト重視」 - 篠塚正典のDesign blog、2007年6月25日
  4. ^ a b 想像力のメダリスト!デザイン王 - ヒーローズインタビュー、2011年1月18日
  5. ^ a b c 長野五輪シンボルマークの作者が語る「20年後も使える 息の長いデザインを」 - 宣伝会議 『ブレーン』、2015年5月号
  6. ^ 東京2020大会エンブレム、開幕5年前にあたる7月24日にいよいよ発表 - デザイン情報サイト[JDN]、2015年7月23日
  7. ^ 8月28日 五輪エンブレム選考過程に関する記者ブリーフィング・質疑応答(全文) 『東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会』 - 聞文読報、2015年8月28日
  8. ^ 五輪エンブレム類似指摘相次ぐ - NHK 首都圏 NEWS WEB、2015年7月30日
  9. ^ デザインにプロが斬る!オリンピックエンブレム問題の核心 - JCC 2015年9月15日 12:35 テレビ朝日 【ワイド!スクランブル
  10. ^ a b c d ロゴマーク デザイナー 篠塚正典氏 プロフィール - コムネット ホームページ
  11. ^ デザイナーに役立つひとりごと。 「TOKYO2020 エンブレム」 - 篠塚正典のDesign blog、2015年7月27日
  12. ^ コーポレートアイデンティティ - 三和建設株式会社
  13. ^ デザイナーに役立つひとりごと。 「プラチナサライ」 - 篠塚正典のDesign blog、2008年11月14日
  14. ^ デザイナーに役立つひとりごと。 「プラチナサライ創刊」 - 篠塚正典のDesign blog、2008年11月26日
  15. ^ 小学館 『プラチナサライ』創刊号 巻頭「プラチナサライロゴ誕生物語」
  16. ^ オーダースーツブランドロゴが完成 - オーダースーツコンシェルジュ 松はじめのスーツ着こなし方ブログ、2009年4月20日
  17. ^ 田中好子“いつもいっしょだよ”モニュメント - 田中好子“いつもいっしょだよ”基金
  18. ^ シルコットウェットティッシュ/シルコットのこだわり【ユニ・チャーム】

外部リンク[編集]