羽幌沿海フェリー

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羽幌沿海フェリー株式会社
Haboro Enkai Ferry Co., Ltd.
本社(羽幌フェリーターミナルビル内)
本社(羽幌フェリーターミナルビル内)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
078-4120
北海道苫前郡羽幌町港町1-51
設立 1935年5月18日
業種 海運業
法人番号 3450001009100 ウィキデータを編集
事業内容 一般旅客定期航路事業
代表者 代表取締役社長 江野 英嗣
資本金 2,500万円
外部リンク http://www.haboro-enkai.com/
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羽幌沿海フェリー(はぼろえんかいフェリー)は、北海道苫前郡羽幌町に本社を置く海運会社。

概要

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羽幌町の羽幌港と羽幌町に属する離島である天売島焼尻島を結ぶ船舶を運航している。

国鉄羽幌線が運航されていた当時は、羽幌駅経由で国鉄との連絡運輸を行っていた。

夏場の観光シーズンは高速船及びフェリーをフル回転させて運航便数増対応するが、秋から冬にかけての閑散期には高速船は休航し、フェリーのみ一日一往復の運航となる。

本社

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  • 北海道苫前郡羽幌町港町1丁目

航路

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運航中の航路

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  • 羽幌港 - (24km、高速船35分、フェリー1時間) - 焼尻港 - (11km、高速船15分、フェリー25分) - 天売港

過去の航路

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北海道本土と焼尻島・天売島を結ぶ航路のほか、天売島の観光船、幌加内町朱鞠内湖遊覧船を運航していた。

  • (焼尻港 -) 羽幌港 - 苫前漁港 - 焼尻港 (- 天売港)
創業時は苫前 - 焼尻 - 天売の航路であったが、1950年から羽幌港に寄港するようになり、1969年に苫前寄港が廃止された。
  • 留萌港 - 焼尻港 - 天売港
1951年から1956年に定期航路として運航された。
  • 天売港 - 赤岩周遊[1]
6.0km。1964年運航開始の夏期不定期航路。1971年に天売観光船として分社化[2]
  • 第一堰堤 - 出水口 - 白樺駅 - 母子里
17.5km、朱鞠内湖Aコース。5 - 10月運航、一日1便。
  • 朱鞠内湖一周
7.5km、朱鞠内湖Bコース。5 - 10月運航、一日2便。
幌加内町が1950年代から運営していた朱鞠内湖の遊覧船を、1962年頃に譲受[3]、1971年に朱鞠内観光汽船として分社化[2]

沿革

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  • 1935年(昭和10年) - 苫前町にて苫前両島定期航路株式会社設立[4]。「天羽丸」(初代)、苫前 - 羽幌 - 天売 - 焼尻航路に就航。
  • 1938年(昭和13年) - 「第二天羽丸」(初代)就航[5]
  • 1942年(昭和17年) - 増資の上、両島運輸に社名変更[4]
  • 1947年(昭和22年) - 「第三天羽丸」(初代)就航[5]
  • 1949年(昭和24年) - 国鉄との連絡運輸開始[5]
  • 1950年(昭和25年) - 羽幌港への寄港を開始し、本土側2港の三角航路となる[5]
  • 1951年(昭和26年) - 「第六天羽丸」就航。留萌航路開設[5]
  • 1956年(昭和31年) - 留萌航路廃止[5]
  • 1959年(昭和34年) - 「天羽丸」(2代)就航[6]。初の鋼船。
  • 1963年(昭和38年) - 「天羽丸」(3代)就航[7]
  • 1969年(昭和44年) - 「天羽丸」(4代)就航[8]。本社を羽幌町に移転、苫前寄港を廃止し[5]、羽幌発着に集約する。
  • 1974年(昭和49年) - 「第三天羽丸」(2代)就航[9]
  • 1989年(平成元年) - 「フェリーおろろん」就航[10]。初のカーフェリー。
  • 1991年 (平成3年) - 高速船「さんらいなぁ」就航[4]
  • 1992年(平成4年) - 羽幌沿海フェリーに社名変更[4]
  • 2001年(平成13年) - フェリー「おろろん2」就航[4]
  • 2013年(平成25年) - 高速船「さんらいなぁ2」就航、羽幌側の発着地を中央ふ頭の新ターミナルに移転[11]

使用船舶

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運航中の船舶

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焼尻港に停泊するおろろん2
焼尻港に入港するさんらいなぁ2
2001年竣工、新潟鐵工所建造
489総トン、全長48.52m、全幅10.5m、航海速力15.0ノット、旅客定員300名(冬期100名)、8トントラック2台および乗用車8台。
船内は1等室(30名)および2等室に分かれている。天売島、焼尻島の生活物資の輸送を一手に引き受けており、4月の一部期間を除く年中を通して運航し、季節によって運航便数が変わる(最大3往復)。閑散期(減便期)は旅客定員を少なくしている。
2013年竣工、墨田川造船建造
 122総トン、全長35.0m、全幅6.0m、航海速力23ノット、旅客定員130名。
4月のフェリー休航時および繁忙期のみの運航。閑散期には飛島航路など他の離島航路に、代船として貸し出されている。

過去の船舶

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両島航路

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羽幌港に停泊するさんらいなぁ
  • 天羽丸(初代)[5]
1933年建造、17.8総トン、機関出力25ps、木造船。
  • 第二天羽丸(初代)[5]
1938年建造、30総トン、機関出力50ps、木造船。
  • 第三天羽丸(初代)[5]
1947年建造、61.47総トン、機関出力75ps、木造船。
1951年6月進水、57.25総トン、木造船。焼玉機関、機関出力115ps、航海速力7.5ノット、旅客定員80名。
  • 天羽丸(2代)(貨客船)[6]
1959年7月進水、下田船渠建造、75.80総トン、全長24.50m、型幅5.15m、型深さ2.05m、ディーゼル1基、機関出力260ps、航海速力10ノット、旅客定員43名。
引退後、道南海運に譲渡、「第二おくしり丸」に改名[13]
  • 第二天羽丸(2代)(貨客船)[13]
1959年9月進水、下田船渠建造、78.33総トン、登録長24.87m、型幅5.20m、型深さ2.15m、ディーゼル1基、機関出力320ps、最大速力12ノット、旅客定員80名。
もと浜益海運「はまます丸」。1968年、雄冬海運に譲渡、「新おふゆ丸」に改名。
  • 天羽丸(3代)(旅客船)[14]
1963年4月竣工、1969年引退、下田船渠建造、116総トン、航海速力12ノット、旅客定員188名。
  • 天羽丸(4代)(貨客船)[15][16]
1969年3月竣工、1989年引退、中村造船鉄工所建造、306.42総トン、全長43.20m、幅7.60m、機関出力1,200ps、航海速力13.5ノット、旅客定員435名。
  • 第三天羽丸(2代)(貨客船)[15]
1974年5月竣工、臼杵鉄工所臼杵工場建造、369.58総トン、全長45.20m、幅7.80m、機関出力1,500ps、航海速力14.77ノット、旅客定員600名。
北海道離島航路整備と船舶整備公団の共有船(用船)。
  • フェリーおろろん(フェリー)[17][18]
1989年5月竣工、2001年引退、横浜ヨット建造、450総トン、全長49.50m、全幅10.00m、機関出力2,800ps、航海速力14.0ノット、旅客定員420名、乗用車6台または8tトラック2台。
北海道離島航路整備と船舶整備公団の共有船(用船)。
1991年4月竣工、2012年引退、横浜ヨット建造、149総トン、全長34.05m、幅6.40m、機関出力3,280ps、航海速力25ノット、旅客定員200名。
船舶整備公団との共有船。4月のフェリー休航時および繁忙期のみの運航だった。

朱鞠内湖航路

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  • 第一観光丸(旅客船)[3]
1953年8月進水、木造、9.96総トン、ディーゼル1基、機関出力6ps、航海速力5ノット、旅客定員22名。
  • 浮島丸(旅客船)[3]
1960年6月進水、木造、4.95総トン、ディーゼル1基、機関出力45ps、航海速力8.0ノット、旅客定員30名。
  • しらさぎ(旅客船)[19]
1963年5月進水、木造、4.90総トン、ディーゼル1基、機関出力40ps、航海速力9.0ノット、旅客定員30名。
当初朱鞠内湖に就航、のち天売島周遊航路に転配された[2]
  • わかさぎ(旅客船)[2]
1963年5月進水、木造、2.50総トン、ディーゼル1基、航海速力5.0ノット、旅客定員10名。

天売島周遊航路

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  • 第一おろろん(旅客船)[2]
1964年5月進水、木造、3.00総トン、ディーゼル1基、機関出力12ps、航海速力7.0ノット、旅客定員24名。
  • 第二おろろん(旅客船)[2]
1964年6月進水、木造、3.00総トン、ディーゼル1基、機関出力12ps、航海速力8.0ノット、旅客定員24名。

脚注

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  1. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和46年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1971]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065734 (参照 2024-09-04)
  2. ^ a b c d e f 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和47年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1973]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065577 (参照 2024-09-04)
  3. ^ a b c 『旅客定期不定期航路事業現況表』,運輸省海運局定期船課,[1962]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2513296 (参照 2024-09-04)
  4. ^ a b c d e 会員の紹介(2010)”. 船員災害防止協会. 2015年4月21日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 『苫前町史』,苫前町,1982.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9570972 (参照 2023-03-17)
  6. ^ a b 『旅客船 : 機関誌』(37),日本旅客船協会,1959-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810920 (参照 2023-03-17)
  7. ^ 天然社 [編]『船舶』36(11),天然社,1963-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2352376 (参照 2023-03-17)
  8. ^ 『旅客船 : 機関誌』(83),日本旅客船協会,1969-08. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810966 (参照 2023-03-18)
  9. ^ 『旅客船 : 機関誌』(107),日本旅客船協会,1974-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810990 (参照 2023-03-18)
  10. ^ まちのあゆみ”. 羽幌町. 2015年4月21日閲覧。
  11. ^ 新羽幌フェリーターミナル開業&新高速船就航”. 北海道庁のブログ「超!!旬ほっかいどう」 - 楽天ブログ (2013年4月17日). 2015年4月21日閲覧。
  12. ^ 『旅客定期不定期航路事業現況表』,日本旅客船協会,[1959]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2493516 (参照 2023-03-18)
  13. ^ a b 『日本旅客船船名録』昭和39年版,日本旅客船協会,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504820 (参照 2024-09-04)
  14. ^ 新造船写真集 天羽丸 - 船の科学1963年10月号
  15. ^ a b 日本船舶明細書 1988 (日本海運集会所 1988)
  16. ^ 広報はぼろ 1969年5月号 - 羽幌町役場
  17. ^ a b 日本船舶明細書 1996 (日本海運集会所 1995)
  18. ^ フェリー「おろろん」6月1日就航 - 広報はぼろ1989年5月号(羽幌町役場)
  19. ^ 『旅客定期不定期・自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和41年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1967]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2531329 (参照 2024-09-04)

外部リンク

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