舟形街道

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舟形街道(ふながたかいどう)は、羽州街道舟形宿(山形県舟形町)と手向宿(山形県鶴岡市羽黒)を結ぶ街道六十里越街道国道112号)とともに、出羽三山への参詣に向かう代表的な街道であり、かつて松尾芭蕉も通った。山形県の内陸地方と庄内地方を結ぶ、大変重要な街道でもあった。また、東北随一の雄藩、仙台藩上方物や松前物を運ぶ主要なルートでもあり、清水河港から北羽前街道を通り、仙台城下へと運ばれた。

現在、最上地方と庄内地方を結ぶ国道47号の別称は鶴岡街道であるが、これは明治時代以降に、新庄市鶴岡市を結ぶ道路に付けられた呼び名である。舟形街道の名は、今では山形県道31号舟形大蔵線区間でのみ使用されている。(かつては舟形町内の奥羽本線に「舟形街道踏切」が存在したが、山形新幹線開業によるアンダーパス化によって廃止された)

宿場[編集]

  • 舟形宿(羽州街道および北羽前街道に接続)
  • 清水宿(最上川の河港。本陣も設置されていた)
  • (本合海河港)
  • 古口宿
  • 清川宿
  • 狩川宿
  • 三ヶ沢宿
  • 手向宿(羽黒山登山口)

江戸時代は、最上峡に現在の国道47号に相当する道路はなく、清水ないしは本合海から、清川までの舟運しか交通手段はなかった。

関所[編集]

  • 舟形口留番所(新庄藩。羽州街道の関所)
  • 古口舟番所(新庄藩)
  • 清川番所(庄内藩

現在のルート[編集]