花のイマージュ
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「花のイマージュ」 | ||||
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岡田有希子 の シングル | ||||
初出アルバム『岡田有希子メモリアルBOX』 | ||||
リリース | ||||
ジャンル | アイドル歌謡曲 | |||
レーベル | キャニオン・レコード | |||
岡田有希子 シングル 年表 | ||||
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「花のイマージュ」(はなのイマージュ)は、岡田有希子の楽曲。9枚目のシングル盤に予定されていた。
概要
[編集]作詞・作曲・編曲ともかしぶち哲郎の手による。既に前作「くちびるNetwork」の次作品として、レコーディングは完了し、ジャケットも完成されていた。本来なら1986年5月14日にキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)から発売予定(品番7A 0573)だったが、発売のおよそ1か月前の同年4月8日に岡田が死去したために発売中止となった。このため、前作の「くちびるNetwork」が岡田の生前最後のシングル曲となった。
初オンエアは岡田が死去する前日、1986年4月7日午前1時20分頃、ニッポン放送のラジオ番組『有希子・章子・麻里 夜遊びしナイト』最終回[1]だった(東京スポーツで「文化放送で流れた」と書かれているが誤り。岡田は文化放送で番組を持ったことは一度もない)。
テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』 の追悼コーナーで、デビュー当時の映像のバックに音声のみがオンエアされた。
その後、多くのファンが“最後のシングル”として発売を求める地道な署名運動を行ない、岡田の親友だった荻野目洋子、事務所のマネージャー溝口伸郎、たけし軍団のメンバーらも賛同していた。
本来の発売予定日から約12年10か月後、1999年3月17日発売のアルバム『メモリアルBOX』に収録され、初めて発売された[2]。
2010年10月19日にTBS系列全国ネットで放送された『解禁!(秘)ストーリー 〜知られざる真実〜 2時間SP』では、テレビ放送では初となる本作のオリジナルテープの再生が、当時の岡田の映像とあわせて行われた。見本盤も完成しており、後は宣材と共に配布するばかりになっていたという(業界で言う「センザイと皿」。この2つは新曲のプロモーションに必須となる)。なおこの放送時に出たシングル・ジャケットはそれまで発売されていた袋式ジャケットではなく、二つ折りの通常ジャケット方式に当時のキャニオンの見本版用の袋だった。
2024年8月、「7インチシングル・コンプリートBOX」で、他の8枚と共にレコード盤として初登場。
カバー
[編集]中川翔子が本作をカバーしたいと公言しているが実現していない[3]。
2014年12月17日発売のかしぶち哲郎トリビュートアルバム『a tribute to Tetsuroh Kashibuchi~ハバロフスクを訪ねて』には、テンテンコ(元BiS)によるカヴァーが収録されている[4]。
また、昭和アイドルアーカイブスのトリビュートアルバム企画による2018年8月31日発売のオリジナルレコード『僕らのプレシャス』には、岡田の後輩であるさんみゅ〜によるカバーが収録されている[5]。
作詞・作曲・編曲したかしぶち哲郎のラストアルバムとなった2009年発売の『LE GRAND』初回生産限定盤に封入されたボーナスCD『REMINISCENCE』収録の「Piano No.13「夜明け」(Instrumental)」は、10代後半だったかしぶち作曲・ピアノ演奏による原曲(Aメロのみ)である。
シングル収録曲
[編集]脚注
[編集]- ^ ラジオブロス (川野将一・著、2016年11月17日発行 イースト・プレス)p。781 - 807「岡田有希子の夜遊びしナイト!」
- ^ 岡田有希子さん 13年ぶり“新曲”、中日スポーツ、1999年2月5日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ “中川翔子 『しょこたん☆かばー4』インタビュー”. Billboard JAPAN. 2016年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
- ^ “かしぶち哲郎トリビュートアルバム 全トラックリスト及びジャケット発表!”. P-VINE. 2019年8月23日閲覧。
- ^ “昭和アイドルアーカイブスオリジナルレコード制作プロジェクト”. CAMPFIRE公式サイト. 2018年11月30日閲覧。