菅松峰

ウィキペディアから無料の百科事典

菅 松峰(すが しょうほう、寛政2年〈1790年〉 - 嘉永4年10月20日1851年11月13日〉)とは、江戸時代中後期の大坂絵師

来歴[編集]

丹羽桃渓の門人。大坂の人で北久太郎町二丁目に住む。名は伯太。松峰、松峯、松真斎と号す。作画期は文化5年(1808年)頃から嘉永にかけてで、主に噺本の挿絵などを描いている。また生け花も能くした。享年62、墓所は大阪市天王寺区生玉寺町三丁目の月江寺。

作品[編集]

  • 百の笑』 噺本 ※文化8年(1811年)刊行、浪華一九作
  • 『会席噺袋』三巻 ※文化9年刊行。浪華一九老人校閲、喜林館慶山補助
  • 『故事附古新話』五巻 ※文化11年刊行、浪華一九作
  • 『花競二巻噺』二巻 ※文化11年刊行、浪華一九・谷十丸作。『花競芝翫ばなし』、『花競璃寛噺』の二冊に分かれる。
  • 『画本道の手引』二冊 ※文政5年(1822年)刊行、思恩堂非得編。挿絵を桃渓とともに描く。

参考文献[編集]

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 市古貞次ほか編 『国書人名辞典』(第二巻) 岩波書店、1995年 ※「菅松峰」の項