萱野駅

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萱野駅
かやの
Kayano
栄町 (2.3 km)
(4.6 km) 三笠
地図
所在地 北海道三笠市萱野
北緯43度13分45.8秒 東経141度49分32秒 / 北緯43.229389度 東経141.82556度 / 43.229389; 141.82556座標: 北緯43度13分45.8秒 東経141度49分32秒 / 北緯43.229389度 東経141.82556度 / 43.229389; 141.82556
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 幌内線
キロ程 6.3 km(岩見沢起点)
電報略号 カヤ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1913年大正2年)9月11日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)7月13日[1]
備考 幌内線廃線に伴い廃駅
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萱野駅(かやのえき)は、北海道三笠市萱野にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線廃駅)である。電報略号カヤ事務管理コードは▲131501[2]

歴史

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1976年の萱野駅と周囲500 m範囲。左が岩見沢方面。島式ホーム1面2線と、駅舎前に貨物積卸線、駅舎横の三笠側に線路まで屋根の張り出した貨物ホームを持つ。この後、貨物荷物取扱い廃止に伴い貨物線が撤去され、島式ホームの駅舎側本線も三笠側分岐が切られて引込線化された。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

純農村地域で、早くから農地開墾が進み、現在の三笠市内や岩見沢市内への農産物供給地であった。1898年(明治31年)頃から当地区の有志による駅設置運動があったが、1910年(明治43年)から三笠山村(当時)として当駅開設の陳情を開始し、1912年(明治45年)6月に受理、同年11月工事着工となった。開駅の翌年1914年大正3年)には日本製麻萱野工場が近くで操業を開始し、1925年?(大正14年)の工場閉鎖まで当駅は活況を呈した。当駅開設の理由としてこの工場開設によるものとの説もある。当工場閉鎖により当駅利用も一時低下したが、周辺地域人口の増加に伴い回復した[3]

年表

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駅名の由来

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開拓当初に萱やが密生していたので、1887年明治20年)頃の入植者が地区名とした[7][8]

駅構造

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廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する無人駅であったが、以前は島式ホーム1面2線を有した列車行き違い可能駅であった。開業当時からの駅舎が、構内の北側に位置していた。

駅周辺

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駅跡

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旧萱野駅舎内は廃線後荒廃していたが、地元町内会による修繕の後2000年代よりライダーハウスとして使用されており、2020年時点では4月から10月にかけ近隣の理髪店が管理を請け負う形で営業され、またホームには車掌車ヨ8103が連結器に時計を付けた形で保存されている[9]

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
幌内線
栄町駅 - 萱野駅 - 三笠駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、841頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ 新三笠市史 平成5年発行、幌内線史 昭和63年発行等による。
  4. ^ a b 『官報』 1913年09月10日 鉄道院告示第72号(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日) 
  6. ^ “「通報」●幌内線萱野駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1981年5月23日) 
  7. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、60頁。ASIN B000J9RBUY 
  8. ^ 新三笠市史 平成5年1月発行、P28。
  9. ^ 【北海道の鉄道発祥地 幌内線・鉄道遺産を訪ねて (1)】1,000円で宿泊可能なライダーハウスに転用された「萱野駅」 - 鉄道チャンネル

関連項目

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