藤原多比能

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藤原 多比能(ふじわら の たびの、生没年不詳)は、藤原不比等の娘で、母は県犬養橘三千代橘諸兄の正室、橘奈良麻呂の母。聖武天皇の皇后である光明皇后は同母姉にあたり、夫である諸兄は異父兄にあたる。藤原武智麻呂藤原房前藤原宇合藤原麻呂藤原宮子らの異母妹である。『続日本紀』に出てくる女官「藤原吉日」は多比能と同一人物とする説が定説となっている(角田文衛説)[1]

諸兄の母は三千代であるため、諸兄との結婚は同母兄妹の近親婚となり、三千代の子とする説は疑問が残る。

略歴[編集]

藤原多比能としては『続日本紀』にその名は全く現れず、経歴は不明であり、『尊卑分脈』・『公卿補任』によると、従三位であったことが分かっているだけである。

藤原吉日としての経歴をあげると、天平9年(737年)2月、無位より従五位下に叙せられ、同11年(739年)正月、従四位下に昇叙され、天平21年(749年)4月、大仏建立に功があって、従四位上から従三位に叙せられている。また、正倉院中倉献物牌にその名前が見える[2][3][4]

官歴[編集]

続日本紀』による

脚注[編集]

  1. ^ 「不比等の娘たち」『律令国家の展開』
  2. ^ 正倉院棚別目録
  3. ^ 正倉院御物銘文集
  4. ^ 正倉院御物の銘識に現われた人々

参考文献[編集]