藤原姚子 ウィキペディアから無料の百科事典 藤原 姚子(ふじわら の とうこ/ちょうし、天禄2年(971年) - 永延3年5月29日(989年7月4日)[1])は、平安時代の女性。花山天皇の女御。堀河女御とも。 略歴[編集] 藤原朝光の娘で母は重明親王王女。永観2年(984年)より麗景殿に入った[1]。朝光は父の藤原兼通や藤原媓子の遺品を麗景殿に送ったため姚子の櫛笥はとても豪華であったと言う。天皇の寵愛が続かず、1ヵ月ほどで宮を退出したが、天皇もそれを問わなかったという [2]。 参考文献[編集] 『譯文大日本史弐』(国民文庫刊行会、1914年、568p) 脚注[編集] ^ a b 『藤原姚子』 - コトバンク ^ 国民文庫刊行会 1914, p. 568. この項目は、日本の皇室、皇族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Category:日本の皇族)。表示編集