藤原宗永
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 湯浅左近大夫 |
氏族 | 藤原北家秀郷流、湯浅氏 |
父母 | 父:藤原師重、母:不詳 |
兄弟 | 宗永 |
妻 | 不詳 |
子 | 宗重、女子(鈴木重邦室) |
藤原 宗永(ふじわら の むねなが、生没年不詳)は、平安時代末期の貴族。藤原北家秀郷流、藤原師重(紀伊権守)の子。通称、湯浅左近大夫。
生涯[編集]
「湯浅之住人藤原宗永」が、康和元年(1099年)頃にいたことが『粉河寺縁起』にみえる。長男の湯浅宗重は鎌倉幕府成立後、湯浅庄などを安堵され鎌倉御家人に列した。娘は同じ紀伊国内の鈴木重邦の妻となった。
系譜[編集]
参考文献[編集]
- 古代氏族系譜集成(宝賀寿男)