藤原貞則 ウィキペディアから無料の百科事典 凡例藤原 貞則時代 平安時代前期生誕 不詳死没 不詳官位 従五位下、丹波守主君 陽成天皇氏族 藤原北家真夏流父母 父:藤原濱雄、母:不詳兄弟 家宗、貞則、飽永、益友、門宗、橘数雄室テンプレートを表示 藤原 貞則(ふじわら の さだのり)は、平安時代前期の貴族。藤原北家真夏、民部少輔・藤原濱雄の次男。官位は従五位下・丹波守。 経歴[編集] 民部大丞を経て、貞観19年(877年)陽成天皇の即位に伴って従五位下に叙爵する。その後時期は不明ながら丹波守を務めたという。 官歴[編集] 『日本三代実録』による。 時期不詳:正六位上。民部大丞 貞観19年(877年) 正月3日:従五位下 時期不詳:丹波守[1] 脚注[編集] ^ 『尊卑分脈』