藤本房子

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藤本 房子
基本情報
別名 フーコ
生誕 (1950-05-02) 1950年5月2日(73歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
活動期間 1970年 -

藤本 房子(ふじもと ふさこ、 1950年昭和25年〉5月2日 - )は、日本の歌手東京都出身。ウッドペッカーの元メンバー。

略歴[編集]

フォークソングのグループであるウッドペッカーのメンバーとして、1970年(昭和45年)にデビュー。

解散後は、1970年代から1990年代にかけて数多くのアニメ主題歌やコマーシャルソングを歌い、CMソングの女王とも呼ばれた。「フーコ」名義では『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲も歌っている[1]

その一方、1980年代からコーラス担当として、楠瀬誠志郎陣内大蔵松田聖子原田知世遊佐未森らのツアーに参加。遊佐未森コンサートには、1989年平成元年)から1996年(平成8年)、1998年(平成10年)から1999年(平成11年)、2003年(平成15年)に参加した。

かわいらしいハイトーンの歌声から、さらに1オクターブ高く転換するところが特徴的で、独特のしゃくり、ビブラート、歌詞の1フレーズを際立たせるキメも特徴である。

主な楽曲[編集]

アニメ・児童向け番組[編集]

CMソング[編集]

歌謡曲・一般曲[編集]

  • お湯をかけたら / 米・パン大戦争(1976年)
  • アババのバ / それでも地球は…(1977年)
  • うちのお父さん / ゴクロウサン(1977年)[注釈 10]
  • 私言います親孝行。 / 花のCMガール(1977年)
  • 返してタンゴ / カマトト月夜(1977年)
  • 世の中まったくわからない / ハンタイの唄(1977年)
  • あの子はキティ / ハローキティ(1977年)[注釈 11] サンリオ・レコード - KTS-20001
  • ちびっこ音頭 / 来年もくるよ(1979年)[注釈 12] 日本クラウン - CW-1863
  • ドラドラロックンロール(1982年、中日ドラゴンズ応援番組『週刊ドラドラ生放送』オープニング曲)

出演[編集]

バラエティ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 「フーコ」名義。
  2. ^ 後期は『ぼくパタリロ!』と改題。
  3. ^ ウッドペッカー時代に歌った最初のCMソング。
  4. ^ a b c d e サウンドロゴ
  5. ^ 初期の代表作。原田美枝子が出演。
  6. ^ 作詞:荒木とよひさ、作曲:田中公平[2]
  7. ^ マリンシアターでベルーガショーの前に流れる歌。
  8. ^ 卵料理の素。
  9. ^ 暁テル子「ミネソタの卵売り」が原曲。
  10. ^ A面はかぐや姫のカバー。
  11. ^ ジャケット、歌詞カード、レーベルに作詞、作曲、歌手名の記載は無し。JASRACのデータベースには両曲とも作詞・八坂裕子、作曲・宮川泰として登録され、B面のハローキティは歌手・藤本房子の記載がある。
  12. ^ A面曲は岡山県内の盆踊りでしばしば使用される。
  13. ^ 特集「あるあるローカルCMソング」に出演[4]

出典[編集]

  1. ^ 小島豊美とアヴァンデザイン活字楽団『『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』』DU BOOKS、2015年、162 - 163頁。ISBN 978-4-907583-45-3 
  2. ^ ひよこっこ広場”. 布亀. 2024年1月24日閲覧。
  3. ^ Taka「鹿児島県でおなじみ「焼肉なべしま」 ローソンでコラボ商品「ビビンバ丼」と「焼きおにぎり」発売中」『ガジェット通信』東京産業新聞社、2021年4月8日。2024年1月24日閲覧。
  4. ^ 4月11日(水)は「イマドキ!面白コンテナハウス &あるあるローカルCMソング」”. MBCテレビ『てゲてゲ』. MBC南日本放送 (2018年4月4日). 2024年1月24日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「ブラウン管の向こうの音楽職人たち」『レコード・コレクターズ』2009年5月号、ミュージック・マガジン、2009年4月15日、116 - 119頁。