蘊謙戒琬
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蘊謙戒琬 | |
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1610年 - 1673年 | |
生地 | 福建省泉州府南安県 |
宗派 | 禅宗 |
寺院 | 福済寺 |
蘊謙戒琬(うんけん かいわん、1610年(万暦38年) - 1673年(寛文13年))は、江戸時代前期に中国の明から渡来した僧。
生涯
[編集]若くして出家し、17歳の時、木庵性瑫の居る開元寺に入寺した。
1649年(慶安2年)、長崎に住む泉州出身の華僑らの招請によって、来日して当時は無住となっていた福済寺の住持に就任した。
1656年(明暦2年)に木庵が来日すると、寺の住持の座を譲り、蘊謙自身は寺の監寺の任を担った。
1660年(万治3年)、木庵が摂津国の普門寺に去ると、住持に復帰した。
その後の蘊謙は、摂津の普門寺と宇治の萬福寺とを訪れた以外は、ほぼ長崎を動かず、福済寺の住持を続けた。
1672年(寛文12年)、木庵の弟子であり、同じく中国僧であった慈岳に住持の座を譲って、桑蓮居に隠退した。
1673年(寛文13年)6月に没した。享年64。