蜂須賀吉武

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蜂須賀吉武
蜂須賀吉武像
時代 江戸時代中期
生誕 元禄5年(1692年
死没 享保10年5月2日1725年6月12日
改名 熊次郎、加茂之助(幼名)、龍誠(初名)、吉武
墓所 徳島県徳島市興源寺
官位 従四位下修理大夫
阿波徳島藩世嗣
氏族 蜂須賀氏
父母 蜂須賀綱矩 奥津庸広の娘・園
兄弟 吉武隆寿宗員、蓮光院、小笠原忠貞正室、大久保忠興婚約者、安藤信尹婚約者ら
正室池田綱清の養女
元姫
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蜂須賀 吉武(はちすか よしたけ)は、江戸時代中期の阿波国徳島藩の世嗣。官位従四位下修理大夫

生涯[編集]

元禄5年(1692年)、徳島藩第5代藩主・蜂須賀綱矩と正室である園(奥津庸広の娘)の次男として誕生。幼名は熊次郎、加茂之助。初名は龍誠。

第5代将軍・徳川綱吉偏諱を受けて吉武と名乗り、次期藩主としての地位を固めつつあったが、享保10年(1725年)父に先立って早世した。

代わって、弟・宗員が嫡子となった。遺物として萌葱糸縅二枚胴具足が残る。墓所は徳島県徳島市下助任町にある興源寺

系譜[編集]

参考文献[編集]

  • 『蜂須賀家記』