西山勉
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西山 勉(にしやま つとむ、1885年4月18日 - 1960年9月21日[1])は日本の銀行家、外交官。満州中央銀行総裁[2]、終戦連絡中央事務局次長等を務めた後、戦後 GHQにより公職追放を受ける[1]。追放解除後は初代駐インド大使を務めた[2]。高知県出身[2]。
略歴
[編集]- 1885年 高知県で医師の父の下に生まれる。後に旧制海南中学校(のち高知県立高知小津高等学校)入学、東亜同文書院中退[1]。
- 1907年 東京高等商業学校(のち一橋大学)卒業、横浜正金銀行(のち三菱東京UFJ銀行)入行[1]
- 1938年 横浜正金銀行取締役[1]
- 1939年 大蔵省(のち財務省)アメリカ合衆国駐箚財務官
- 1943年 満州中央銀行総裁[1]
- 1945年 終戦連絡中央事務局次長兼第二部長事務取扱兼第四部長事務取扱[1][3]
- 1947年 公職追放[1]
- 1952年 インド国駐箚特命全権大使[4]
- 1954年 退職[1]
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『日本近現代人物履歴事典』2315
- ^ a b c https://kohchi-kenjinkai.com/modules/pico/index.php/content1112.html
- ^ 官報 1945年10月09日
- ^ https://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/gaimu617.html
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
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