西川登 (天文家)

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西川 登(にしかわ のぼる、1921年 - 2019)は熊本県水俣市在住の日本アマチュア天文家コメットハンター

1938年チッソに入社、1942年から4年間歩兵第13連隊などに配属され1946年に復職した[1]チッソに在職していたころ、建築の技術を生かして自宅屋根に天文台を作った[2]1964年から彗星捜索を始め[3]、54歳で退職してからも捜索を続け、20年以上にわたり累計の観測数が2389回・捜索時間が3024時間に達した1987年1月19日、15cm反射望遠鏡で観測中にうお座に9等級の新彗星を発見。ほかに長野県高見澤今朝雄岡山県多胡昭彦も発見したため、C/1987 B1 西川・高見澤・多胡彗星と命名された[4]。九州地方では初の彗星発見者となり、65歳での発見は当時国内で2番目に高齢の発見となった。

脚注[編集]

  1. ^ 西川登さんインタビュー”. 一般財団法人 水俣病センター相思社. 2021年7月6日閲覧。
  2. ^ 西川登さんインタビュー2”. 一般財団法人 水俣病センター相思社. 2021年7月6日閲覧。
  3. ^ 星屑1987年2月号”. 熊本県民天文台. 2021年7月6日閲覧。
  4. ^ IAUC 4300: 1987c; 1987 AB; 1986O”. IAU. 2021年7月6日閲覧。