郡山軍助 ウィキペディアから無料の百科事典 郡山 軍助(こおりやま ぐんすけ、生年不明 - 1911年(明治44年)2月4日[1])は、明治時代の官吏。 経歴[編集] 福井県南条郡長[2]、佐賀県神埼郡長を経て、1908年(明治41年)10月、同県西松浦郡長に就任[3]。その後、鹿児島県薩摩郡長在任中に死去した[1]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ a b 大植 1935, 1202頁. ^ 南条郡 1913, 119頁. ^ 『佐賀県神崎郡長郡山軍助外四名任免ノ件○佐賀県神崎郡長郡山軍助外三名同県西松浦郡外二郡長任免、仙台医学専門学校教授須田勝三郎依願免本官』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治41年10月22日。 参考文献[編集] 『福井県南条郡要覧 大正2年』南条郡、1913年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/912742。 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271。