鄭琢
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鄭琢 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 정탁 |
漢字: | 鄭琢 |
発音: | チョン・タク |
日本語読み: | てい たく |
鄭琢(てい たく、チョン・タク、정탁、1526年 ~ 1605年)は李氏朝鮮中期の文臣。字は子精 、号は薬圃・佰谷、諡号は貞簡。本貫は清州鄭氏[1]。
履歴
[編集]- 1581年 - 大司憲、吏曹参判、進賀使
- 1589年 - 右賛成、謝恩使
- 1592年 - 左賛成、迎慰使
- 1594年 - 右議政
- 1599年 - 左議政、中枢府判事
- 1603年 - 中枢府領事、扈従功臣3等、西原府院君、奉朝賀
将軍抜擢
[編集]- 壬辰倭乱では李舜臣・郭再祐・金徳齢等の名将を抜擢した。
伸救箚
[編集]文集及び著書
[編集]- 文集
- 《薬圃集》[3]
- 著書
- 《竜湾聞見録》[4]
家族
[編集]- 高祖父 : 鄭普天[5]
関連作品
[編集]注釈
[編集]- ^ 鄭琢 - 韓国学中央研究院
- ^ [사필귀정] 바늘보다 실이 굵으면
- ^ 한국고전종합-약포집
- ^ 한국고전종합-용만문견록
- ^ 한국학자료센터만가보 : 8 책 71 면 (좌측) 9 단 1 행
- ^ 연산 39권, 6년