長峰与一

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長峰 与一(ながみね よいち、1874年1月8日[1] - 1931年4月17日[2])は、日本政治家衆議院議員(3期)。

経歴[編集]

宮崎県出身[2]東京帝国大学)に学び、アメリカに留学する。その後、中国に渡り、天津に在留し、肥料製造及び販売業に従事し、その傍ら倉庫業を経営し、天津商工銀行取締役となる[2]。また、天津居留民団行政委員会議員、同議長、天津日本人商業会議所評議員を歴任する[2]

1917年第13回衆議院議員総選挙において宮崎県区から立憲政友会公認で立候補して初当選した[3]。以後、連続3回当選した。1920年第14回衆議院議員総選挙で再選した[4]1924年第15回衆議院議員総選挙政友本党)でも三選した[5]1928年第16回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1931年死去。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第三十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、28頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』469頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』63頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』70頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』77頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。