阿武清
ウィキペディアから無料の百科事典
阿武清 | |
---|---|
生誕 | 1886年5月12日 日本・山口県 |
死没 | 1935年4月6日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1905年 - 1935年 |
最終階級 | 海軍中将 |
阿武 清(あんの きよし、1886年5月12日 - 1935年4月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]山口県出身。阿武之介の息子として生れる。1905年11月、海軍兵学校(33期)を席次3番で卒業し、1906年12月に海軍少尉任官。海軍水雷学校高等科を優等で卒業し、第14艇隊艇長、第1艦隊・第2艦隊の各参謀などを経て、1916年11月、海軍大学校(甲種14期)を次席で卒業。
以後、第3水雷戦隊参謀、軍令部参謀、イギリス駐在、海大教官、海軍省人事局第1課局員、横須賀鎮守府付、給油艦「神威」特務艦長、「夕張」艦長、軍令部第1班第1課長、「陸奥」艦長などを経て、1930年12月、海軍少将に進級。人事局長、第2水雷戦隊司令官を歴任し、軍令部第1部長在任時に死去し海軍中将となった。
栄典
[編集]- 位階
- 1907年(明治40年)2月12日 - 正八位[1]
- 1924年(大正13年)12月27日 - 従五位[2]
- 1930年(昭和5年)2月15日 - 正五位[3]
- 1935年(昭和10年)4月6日 - 従四位[4]
- 勲章等