阿部幸子
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あべ ゆきこ 阿部 幸子 | |
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生誕 | 1931年7月22日 愛知県名古屋市 |
死没 | 1992年12月8日(61歳没) |
職業 | 英文学者 |
阿部 幸子(あべ ゆきこ、1931年(昭和6年)7月22日[1] - 1992年(平成4年)12月8日)は、日本の英文学者。夫はイタリア文学者の阿部史郎。
生涯
[編集]愛知県名古屋市生まれ。専門学校卒業後、南山大学英文科へ学士入学、1955年名古屋大学大学院修士課程修了、1958年京都大学大学院英文学専攻博士課程満期退学。
光華女子短期大学助教授、ノートルダム女子大学助教授、大谷大学助教授、ドイツへ留学の後、1969年学園紛争のため辞職。京都工芸繊維大学助教授、1973年教授、1989年岡山大学教育学部教授。赴任後程なく、肝臓癌に冒されていることが分かり闘病ののち、61歳で死去。
著書
[編集]- 『現代英国文学の諸相』恒星社厚生閣、1970年。
- 『比較文学』仏教大学通信教育部、1987年。
- 『E・M・フォースター研究』ニューカレントインターナショナル、1989年。
- 『生命をみつめる 進行癌の患者として』探究社、1991年。
- 『死の受容 ガンとわかってから三年余を生きて』講談社、1992年。
- 『病棟の光と翳 がん闘病記』探究社、1992年。
- 『生命ある限り』探究社、1993年。
- 『阿部幸子闘病日記』探究社、1995年。
翻訳
[編集]- ロジェ・アセリノー編 (1971). ヘミングウェイ研究 ヨーロッパにおけるヘミングウェイ. 恒星社厚生閣阿部史郎共訳
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.31
参考文献
[編集]- 『死の受容 ガンとわかってから三年余を生きて』講談社、1992年。 - 自伝的記述を含む。
- 『人物物故大年表』