雑色官稲
ウィキペディアから無料の百科事典
雑色官稲(ぞうしきかんとう/ざっしきかんとう)とは、日本の律令制において特定の目的をもって正税とは別に諸国において保管されていた官稲。雑色稲・雑官稲・雑稲とも。
概要
[編集]雑色官稲は、大税(正税)とは別個に諸国の正倉に保管され、出挙によって運用されてその利息部分を経費として充てた。
代表的なものとして次のものが挙げられる。
その後、天平年間に入ると地方財政や出挙の円滑化のために雑色官稲を整理・統合して正税に組み入れる政策が実施された。これを「官稲混合」という。これによって、一旦は全ての雑用官稲が廃止(特殊な性格を持つ神税を除く)されるが、その後正税から国分二寺稲・救急稲が成立するなど、雑色官稲が完全に消滅した訳でなかった[2]。
脚注
[編集]- ^ 本来は神戸が所属する神社に納める租税であり、国司はその徴収・管理を代行するのみで通常の財政から切り離されていたため、官稲混合の対象から外されて『延喜式』の時代まで存続しつづけた(山里、1991年、P49)。
- ^ ただし、官稲混合後に成立した雑色官稲は正税から原資を一時的に借り受ける形態が採られ、公廨稲・神税を別とすれば正税に一本化する原則は維持され続けた(山里、1991年、P260-261・336)
参考文献
[編集]- 薗田香融「出挙」(第一節「官稲混合の実施とその具体的内容」)(『日本古代財政史の研究』(塙書房、1981年) ISBN 978-4-8273-1646-9 (原論文1960年))
- 山里純一「諸官稲の設置と官稲混合」(『律令地方財政史の研究』(吉川弘文館、1991年) ISBN 978-4-642-02249-1(原論文1974年))