霞ヶ関村
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かすみがせきむら 霞ヶ関村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 | 編入合併 霞ヶ関村、名細村、山田村、古谷村、南古谷村、大東村、福原村、高階村、芳野村 →川越市 |
現在の自治体 | 川越市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 入間郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 6,055人 (1950年) |
隣接自治体 | 埼玉県:川越市、狭山市、 入間郡鶴ヶ島村、高萩村、大東村、名細村 |
霞ヶ関村役場 | |
所在地 | 埼玉県入間郡霞ヶ関村大字笠幡 |
座標 | 北緯35度54分43秒 東経139度25分20秒 / 北緯35.91208度 東経139.42236度座標: 北緯35度54分43秒 東経139度25分20秒 / 北緯35.91208度 東経139.42236度 |
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霞ヶ関村(かすみがせきむら)は、埼玉県入間郡に存在した村である。
地理
[編集]- 現在の川越市西部。当村を南から東の境を入間川、西から東にかけて小畔川が流れる。
- 現在は東武東上本線、川越線が通り、その交通の便の良さから霞ヶ関、伊勢原、川鶴など団地の造成も多く行われている。東京国際大学があるのも旧・霞ヶ関村の中である。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、的場村、笠幡村、安比奈新田の3か村が合併、高麗郡霞ヶ関村が成立。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 高麗郡が入間郡に編入、入間郡霞ヶ関村となる。
- 1916年(大正5年)10月27日 - 東上鉄道(現・東武東上本線)が坂戸町駅(現・坂戸駅)まで開通、当村内に的場駅(現・霞ヶ関駅)を開設。
- 1940年(昭和15年)7月22日 - 川越線が開通、当村内に的場駅、笠幡駅を開設。
- 1952年(昭和27年) - 鶴ヶ島村(現・鶴ヶ島市)大字大田ヶ谷の一部を編入。同時に霞ヶ関村大字笠幡の一部を鶴ヶ島村に編入。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 川越市に編入。
村域の変遷
[編集]1868年 以前 | 1889年 (明治22) 4月1日 | 1896年 (明治29) 3月29日 | 1952年 (昭和27) | 1955年 (昭和30) 4月1日 | 現在 | ||
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笠幡村 | 高麗郡 霞ヶ関村 | 入間郡 に移行 | 霞ヶ関村 | 鶴ヶ島村 に編入 | 鶴ヶ島村 | 鶴ヶ島市 | |
霞ヶ関村 | 川越市 に編入 | 川越市 | |||||
安比奈新田 | |||||||
的場村 | |||||||
太田ヶ谷村 の一部 | 高麗郡 鶴ヶ島村 | 鶴ヶ島村 | 霞ヶ関村 に編入 |
地域
[編集]- 的場(まとば) 一部は現在の霞ヶ関北、霞ヶ関東、的場北、上戸新町、伊勢原町、的場新町。
- 笠幡(かさはた) 一部は現在の川鶴、かわつる三芳野、伊勢原町、的場新町、的場(一〜二丁目)。
- 安比奈新田(あいなしんでん) 入間川東岸には西武安比奈線の安比奈駅(貨物駅)があったが、2016年11月30日を以て廃止された。