青松院 ウィキペディアから無料の百科事典 この項目では、徳川斉匡の側室について説明しています。山梨県甲府市に所在する曹洞宗寺院については「青松院 (甲府市)」をご覧ください。 青松院 青松院(せいしょういん、寛政8年(1796年) - 明治4年(1871年))は、田安徳川家当主徳川斉匡の側室。松平春嶽、徳川慶臧、至姫、筆姫(鍋島直正室)の生母。閑院宮家司木村大進政辰の娘で、実名はれゐ(連以)。春嶽が切望して、実家の田安家から養子先の越前松平家に迎え入れた。 血縁[編集] 父:木村大進政辰(閑院宮家司) 夫:徳川斉匡(田安徳川家3代)(1779-1848) 子女 至姫(1824-1826) 春嶽(1828-1890)(越前福井藩14代藩主) 筆姫建子(1830-1886)(佐賀藩主鍋島直正継室) 慶臧(1836-1849)(尾張藩13代藩主) 参考文献[編集] 田安徳川家<花筐館>葵の間 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集