高岡市役所
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高岡市役所 | |
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役職 | |
市長 | 角田悠紀 |
副市長 | 河村幹治 |
組織 | |
部署 | 未来政策部、総務部、産業振興部、生活文化環境部、福祉保健部、都市創造部、市民病院、消防本部、上下水道局、教育委員会、選挙管理委員会、監査委員、農業委員会、議会事務局 |
概要 | |
所在地 | 富山県高岡市広小路7番50号 |
定員 | 1762人(令和2年度) |
年間予算 | 1331億5693万円(令和2年度) |
設置 | 1889年4月1日 |
ウェブサイト | |
高岡市 |
高岡市役所 | |
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高岡市役所 | |
情報 | |
用途 | 行政施設 |
主構造物 | 本庁舎、議会棟、上下水道局棟、車庫棟 |
建築主 | 高岡市 |
事業主体 | 高岡市 |
管理運営 | 高岡市 |
階数 | 8階 |
所在地 | 〒933-8601 富山県高岡市広小路7番50号 |
位置 | 北緯36度45分14.75秒 東経137度1分32.64秒 / 北緯36.7540972度 東経137.0257333度 |
高岡市役所(たかおかしやくしょ)は、日本の地方公共団体である高岡市の行政事務を執行する役所、およびその組織が入る施設である。
概要
[編集]本庁舎は8階建てで、周辺に議会棟、水道局棟、車庫棟がある。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 高岡市市制施行。同年7月17日より、二番町のニシン会社を借りて市役所庁舎とした[1][2]。
- この間、千木屋町の西福寺に移転したこともある[1]。
- 1894年(明治27年) - 二番町のニシン会社を買収し、改造して市役所とする[1]。
- 1900年(明治33年)6月27日 - 高岡市内の大火により庁舎を焼失したため、博労畳町の旧越中教校(浄土真宗大谷派僧侶養成所)を仮庁舎に充てる[1][3]。
- 1901年(明治34年)5月14日 - 旧庁舎跡地に仮庁舎建設[1][4]。
- 1911年(明治44年) - 市会で新庁舎建設が決まる[1]。
- 1913年(大正2年)3月 - 西欧風ゴシック様式の市庁舎が片原横町(育英校跡地で、現・北陸銀行高岡支店敷地)に建設される[1][5]。
- 1959年(昭和34年)9月 - 高岡市が1956年より財政再建団体指定により庁舎を建設出来なかったため、北陸電力高岡営業所との「財産交換契約」を市議会で可決[1]。
- 1960年(昭和35年)12月10日 - 本丸町(当時は本町2丁目)の北陸電力高岡営業所の建物に移転し『高岡市庁舎』とする[1][6]。
- 1964年(昭和39年)2月15日 - 新館を増築[7][6]。
- 1980年(昭和55年)4月13日 - 現市庁舎が完成(同年5月6日より執務開始)[8]。旧庁舎は後に急患医療センターなど各種団体が入居する『本丸会館』に転用される。
所在地
[編集]- 本庁舎 - 高岡市広小路7番50号
- 伏木支所 - 高岡市伏木湊町13番1号(高岡市伏木コミュニティセンター)
- 戸出支所 - 高岡市戸出町二丁目13番4号(高岡市戸出コミュニティセンター)
- 中田支所 - 高岡市下麻生1108番地(高岡市中田コミュニティセンター)
- 福岡支所 - 高岡市福岡町大滝12番地(福岡庁舎=旧福岡町役場)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い』(1991年12月、高岡市発行)284ページより。
- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い』(1991年12月、高岡市発行)355ページより。
- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い(1991年12月、高岡市発行)』357ページより。
- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い』(1991年12月、高岡市発行)357ページより。
- ^ 『高岡市史 下巻(1969年12月30日、高岡市著、青林書院新社発行)』1,239ページより。
- ^ a b 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い』(1991年12月、高岡市発行)364ページより。
- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い』(1991年12月、高岡市発行)284ページ、285ページより。
- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか - 歴史との出会い』(1991年12月、高岡市発行)285ページ、366ページより。
関連項目
[編集]- 本丸会館(旧本庁舎)