高松静男

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1918年の早稲田大学野球部(後列左端が高松静男)

高松 静男(たかまつ しずお、1895年 - 1945年9月8日)は、日本の元アマチュア野球選手。愛知県出身。

来歴・人物[編集]

愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)から1915年早稲田大学へ進学し、野球をプレーした。ポジションは左翼手だったと伝わる。1919年に早大の主将として龍ヶ崎中(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)を指導した記録が残っている[1]

早大卒業後、応召(時期不明)したが、自身は日本が終戦した事を知らないまま1945年9月8日フィリピン北部のルソン島戦死した。享年50。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[2]

脚注[編集]

  1. ^ 大正九年度(第三回関東野球大会)〈茨城県立竜ヶ崎第一高等学校硬式野球部のHPより〉
  2. ^ 戦没野球人モニュメント-モニュメントに刻まれた戦没野球人一覧(野球殿堂博物館のページ)

外部リンク[編集]