高江町

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高江町
薩摩川内市立高江中学校
北緯31度49分26.2秒 東経130度15分12.8秒 / 北緯31.823944度 東経130.253556度 / 31.823944; 130.253556
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口
2020年10月1日現在)
 • 合計 1,127人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
895-0131
市外局番 0996
ナンバープレート 鹿児島
運輸局住所コード 46514-0248[1]
地図

高江町(たかえちょう[2])は、鹿児島県薩摩川内市[3]。旧薩摩国薩摩郡高江郷高江村薩摩郡高江村大字高江川内市高江町郵便番号は895-0131。人口は1,127人、世帯数は535世帯(2020年10月1日現在)[4]

地理[編集]

薩摩川内市の本土側の西部、川内川下流域から河口付近に位置する[5]。字域の北方には薩摩川内市小倉町湯島町、南方にはいちき串木野市荒川、西方にはいちき串木野市羽島、薩摩川内市寄田町久見崎町、東方には薩摩川内市青山町宮里町がそれぞれ隣接している。

現在の字域内にある川内川沿いの水田地帯の多くは沼であったが[5]、延宝7年に川内川の干拓に着工し、貞享4年に竣工した。この干拓工事によって水田が造成された。その際に川内川の堤防として建設された長崎堤防は治水のために形状がのこぎりの刃の形状をしており、その点が評価され2011年平成23年)に土木学会選奨土木遺産に指定された[6][7]

この造成によって出来た水田は高江水田と呼ばれている。この水田は低地にあるため度々水害や塩害が発生するなど大きな被害を受けたとされている[8]。現在、これらの水田は国の特別天然記念物タンチョウの越冬地としても知られている[9]

字域の北部を川内川が流れ、これに沿って鹿児島県道43号川内串木野線が東西に通っている。沿線には薩摩川内市立峰山小学校がある。南部には高江山地が東西に連なっている。

また、字域内を南九州西回り自動車道川内隈之城道路が通り、薩摩川内高江ICが設置されている。

町名の由来[編集]

「高江」という地名は貞享4年に干拓による新田ができるまでは川内川の入り江が深く入り込み、周囲を高い岡に囲まれた地境にあったことに由来する[10]

河川[編集]

歴史[編集]

高江の成立[編集]

高江という地名は南北朝時代より見え、薩摩国宮里郷のうちであった。嘉暦3年の新田宮沙汰人交名注文案に宮里郷のうちに高江氏に関する記述があり、この地を治めた高江氏は宮里氏の支族にあたり、宮里氏の領土から分譲され高江に移住し高江氏を名乗ったとされている。

中世から近世[編集]

鎌倉時代応安5年に峯城合戦と呼ばれる北朝寄りの総州家島津氏と南朝寄りの入来院氏の合戦があり、その後高江の地はこの合戦に勝利した入来院氏の配下となった。応永4年に総州家島津氏によって入来院氏征伐が行われるが失敗し、また同時に総州島津氏と奥州島津氏の争いとなり、当時薩摩国内でも有数の規模の港であった京泊が奥州家島津氏によって焼き払われるなど川内に甚大な被害を与えた。

戦国時代になると入来院氏は高江や宮里(現在の宮里町)などを島津氏に進上し、島津氏の直轄領となった[11]

江戸時代には薩摩国薩摩郡高江郷(外城)のうちであり、高江村は薩摩藩の直轄領であった。村高は「御秘文雑集」及び「天保郷帳」では1,578石余、「旧高旧領取調帳」では2,778石余であった[8]

嘉永年間に、島津斉彬が諸郷の軍備を規定し、高江には半手(61名)の郷士が配置されていた。この郷士は戊辰戦争では外城番兵の一番隊ないし六番隊に配属された[12]

町村制施行以降[編集]

現在の高江町の田園

1889年(明治22年)4月1日町村制が施行されたのに伴い、高江郷(高江村、久見崎町、寄田町)の区域より薩摩郡高江村が成立した。それまでの高江村は高江村の大字『高江』となり、高江の字江原瀉には高江村の村役場が置かれた。

1956年(昭和31年)9月30日には高江村薩摩郡永利村と共に川内市に編入された[13]。同年の10月19日に鹿児島県公報に掲載された「 市村の廃置分合に伴う大字の廃止及び町の新設」(鹿児島県告示)により9月30日付で旧高江村大字高江の区域を以て新たに川内市の町「高江町」が設置された[14][8]

2004年(平成16年)10月12日川内市東郷町入来町祁答院町樋脇町下甑村上甑村鹿島村里村が新設合併し薩摩川内市が設置された[15]。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに薩摩川内市の町となった[16]

人口[編集]

以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[17]
1,820
2000年(平成12年)[18]
1,726
2005年(平成17年)[19]
1,595
2010年(平成22年)[20]
1,489
2015年(平成27年)[21]
1,312
2020年(令和2年)[4]
1,127

施設[編集]

薩摩川内市立峰山小学校
高江郵便局

教育[編集]

郵便局[編集]

  • 高江郵便局

寺社[編集]

  • 南方神社
  • 高江法隆寺
  • 熊野神社
  • 護国神社
  • 秋葉神社
  • 小野神社

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[22]

町丁 番地 小学校 中学校
高江町 全域 薩摩川内市立峰山小学校 薩摩川内市立川内中央中学校

交通[編集]

薩摩川内高江IC

道路[編集]

一般国道
主要地方道

出身人物[編集]

木元規矩男(実業家、ラグビー選手)

脚注[編集]

  1. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  2. ^ 本市の町名一覧について”. 薩摩川内市. 2020年8月8日閲覧。
  3. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  4. ^ a b 国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
  5. ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.761
  6. ^ 土木学会 平成23年度選奨土木遺産 長崎堤防 - 土木学会 2011年10月26日閲覧。
  7. ^ 「長崎堤防」土木遺産に - 南日本新聞 2011年10月26日閲覧。
  8. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.390
  9. ^ “タンチョウ、無事に北帰行 薩摩川内”. 朝日新聞デジタル. (2021年3月30日) 
  10. ^ 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.389
  11. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 pp.389-390
  12. ^ 『薩藩の教育と財政並軍備』鹿児島市役所、1939年2月。 
  13. ^ 市村の廃置分合(昭和31年総理府告示第802号、昭和31年9月30日付官報号外第40号所収、 原文
  14. ^ 市村の廃置分合に伴う大字の廃止及び町の新設(昭和31年鹿児島県告示第762号、昭和31年10月19日付鹿児島県公報第4070号、 原文
  15. ^ 市町村の廃置分合(平成16年総務省告示第590号、 原文
  16. ^ 町名・字名の取り扱いについて”. 川薩地区法定合併協議会. 2020年8月8日閲覧。
  17. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  18. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  19. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  20. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  21. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  22. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2018年4月22日閲覧。

関連項目[編集]

座標: 北緯31度49分26.2秒 東経130度15分12.8秒 / 北緯31.823944度 東経130.253556度 / 31.823944; 130.253556