鳥居忠宗 ウィキペディアから無料の百科事典 鳥居 忠宗 (とりい ただむね、生年不詳-天文16年9月28日(1547年11月10日))は、戦国時代の武将。鳥居忠吉の長男 [1]。通称源七郎。 略歴[編集] 松平広忠に仕える。天文16年、松平信孝らが織田信秀側に寝返り岡崎城を襲おうとした[2]。9月28日、忠宗は渡河内に兵を率いて信孝軍と戦うも、松平清兵衛に討たれた[2]。 法名雪心。 参考文献[編集] 『寛政重修諸家譜第三輯』(国民図書、1922年、1046p) 脚注[編集] ^ “鳥居氏”. 2022年10月4日閲覧。 ^ a b 国民図書 1922, p. 1046. 外部リンク[編集] この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集