鴨緑江軍 (日本軍)

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鴨緑江軍
創設 1905年明治38年)1月12日
廃止 1906年(明治39年)1月20日
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位
所在地 朝鮮半島-満州
最終上級単位 満州軍
戦歴 日露戦争
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鴨緑江軍(おうりょくこうぐん)は、大日本帝国陸軍の一つ。

沿革

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日露戦争に伴い、韓国駐箚軍(司令官:長谷川好道 大将)の隷下として[1]、1905年(明治38年)1月に編成された。

鴨緑江軍は、満州軍(麾下に第1軍第2軍第3軍第4軍)と共同作戦を行い、奉天会戦に参加した[1]。奉天会戦において、ロシア軍は満洲軍麾下の4つの軍と別行動を執る鴨緑江軍を主力と誤認する錯誤を犯した[1]

1906年(明治39年)1月20日に復員した。

軍概要

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司令部構成

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兵站部

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  • 兵站監 古谷安民 大佐:1905年1月14日 – 1906年1月20日
  • 参謀長 藤井幸槌 中佐:1905年1月15日 – 1906年1月

最終時隷下部隊

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関連項目

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c 半藤 2013, 位置No. 1420/1474, 第四章 日露の戦いのなかで-長谷川好道 野戦の武人

参考文献

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