AFCチャンピオンズリーグ2011

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AFCチャンピオンズリーグ2011
AFC Champions League 2011
大会概要
日程 2011年2月12日 - 11月5日[1]
チーム数 32
大会結果
優勝 カタールの旗 アル・サッド (2回目)
準優勝 大韓民国の旗 全北現代
大会統計
試合数 117試合
ゴール数 323点
(1試合平均 2.76点)
得点王 大韓民国の旗 李東国(9点)
最優秀選手 大韓民国の旗 李東国
 < 20102012

AFCチャンピオンズリーグ2011(AFC Champions League 2011)は、2002年 - 2003年に第1回大会が行われて以来、9回目のAFCチャンピオンズリーグである(前身も含めれば30回目)。

概要[編集]

グループステージ参加クラブ数は前回大会と同じ32チームである。各4チーム、A~H組の8組に分かれる。原則として、A~D組は西地区、E~H組は東地区と東西に分かれてのグループ分けとなる。例外として、今大会は西地区の1チームが東地区のプレーオフから参加する[2](便宜上、原則にのっとり、A~D組は西地区、E~H組は東地区と記述する)。 各グループの上位2チームがノックアウトステージに進出する。

ノックアウトステージは、ラウンド16をグループステージ1位チームのホームで一発勝負。ここまでが東西に分かれての試合となる。準々決勝・準決勝はホーム・アンド・アウェー方式で2試合行われる。 決勝戦は、今大会は中立地での一発勝負ではなく、決勝に勝ち進んだ2チームのどちらかのホームスタジアムでの一発勝負となる[3]。どちらのホームになるかは事前の抽選によって決められる。

優勝チームには、2011年12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2011への出場権が与えられた。

トピックス[編集]

東北地方太平洋沖地震の影響[編集]

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響で、3月15日及び16日に日本国内で開催される予定であった2試合が延期となった[4]

その後、F組の名古屋(ホーム)対アル・アインについては、3月15日開催予定だった試合を4月12日に実施することになった[5]

またH組の鹿島(ホーム)対シドニーの試合は、当初は3月16日(ホーム:鹿島)・5月10日(ホーム:シドニー)の開催で予定されていたところを、3月16日の試合を4月13日に延期するとともにホームとアウェイの順序を入れ替えることになり、さらに鹿島のホームゲーム3試合はカシマスタジアムから国立競技場に変更されることになった[6]

全北横断幕問題[編集]

2011年9月27日韓国全州ワールドカップ競技場で行われた準々決勝第2戦全北現代モータースvsセレッソ大阪戦で、一部の全北サポーターが「日本の大地震をお祝います(原文ママ)」と東日本大震災を揶揄する横断幕を掲げて応援を行い、C大阪側が試合中にこの横断幕を発見しマッチコミショナーを通じて横断幕の掲示を止めさせる事態が発生し、C大阪はアジアサッカー連盟に抗議文を提出した[7][8]

出場枠[編集]

2009年11月30日、AFCは2011年と2012年のシーズンの参加基準を承認し[9] 、参加している10の協会に加えて、ACLへの参加を希望している12の協会を発表した。シンガポールは後に辞退した。候補協会のリストは以下の通りである。

東地区
西地区

2010年11月21日、AFCはACL2011の出場枠は失格となったベトナムを除いて前2シーズンと同じままであると発表さした[11]

各国協会の評価
出場枠あり
基準を満たさず、出場枠無し
出場枠についての注釈
  1. ^ AFCカップ: 2010AFCカップ優勝のアル・カーディシーヤは所属協会のクウェートがACLの基準を満たしていないため参加できなかった。
  2. ^ アラブ首長国連邦(UAE): 抽選の結果アラブ首長国連邦のプレーオフ参加クラブが東地区のプレーオフへと回る。

参加クラブ[編集]

以下のリストでは、出場回数と前回出場年はAFCチャンピオンズリーグへと名称変更された2002-03シーズン以降のシーズンのみで算出している。 (予選参加も含む)

  1. ^ アラブ首長国連邦(UAE): アラブ首長国連邦のプレーオフ参加クラブアル・アインが東地区のプレーオフへと回る。

プレーオフ[編集]

プレーオフ敗退のチームはすべて、AFCカップ2011に進出する。

西地区[編集]

準決勝


決勝


東地区[編集]

準決勝


決勝


グループステージ[編集]

組み合わせ抽選会は2010年12月7日にクアラルンプールで行われた。参加する32チームは4チームずつ8組に分かれる。同一協会に所属するチームが同じグループに入ることはない[12]

各グループで勝ち点が同点のチームが2つ以上ある場合は、以下の順に比較して順位を決定する。

  1. 当該チーム同士の対戦における、勝ち点の多少
  2. 当該チーム同士の対戦における、得失点差(アウェイゴールは不適用)
  3. 当該チーム同士の対戦における、ゴール数の多少(アウェイゴールは不適用)
  4. 当該チームの全試合における、得失点差
  5. 当該チームの全試合における、ゴール数の多少
  6. ここまで参照し、それでも2クラブが差がつかず、さらにその両方が同じ試合会場にいる場合は、PK戦を行う。
  7. 警告および退場処分になった回数をポイント化(警告=1ポイント、2回目の警告による退場=3ポイント、いわゆる一発退場=3ポイント、警告に続いて退場=4ポイント)し、ポイントの少ない方を上位とする
  8. 抽選

西地区[編集]

グループA[編集]

チーム 勝点 試合
イランの旗 セパハン 13 6 4 1 1 14 5 +9
サウジアラビアの旗 アル・ヒラル 13 6 4 1 1 11 6 +5
カタールの旗 アル・ガラファ 7 6 2 1 3 6 7 -1
アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ 1 6 0 1 5 7 20 -13













グループB[編集]

チーム 勝点 試合
カタールの旗 アル・サッド 10 6 2 4 0 8 6 +2
サウジアラビアの旗 アル・ナスル 8 6 2 2 2 10 7 +3
イランの旗 エステグラル 8 6 2 2 2 10 9 +1
ウズベキスタンの旗 パフタコール 5 6 1 2 3 8 14 -6













グループC[編集]

チーム 勝点 試合
サウジアラビアの旗 アル・イテハド 11 6 3 2 1 10 5 +5
ウズベキスタンの旗 ブニョドコル 9 6 2 3 1 8 6 +2
アラブ首長国連邦の旗 アル・ワフダ 6 6 1 3 2 6 8 -2
イランの旗 ペルセポリス 5 6 1 2 3 6 11 -5













グループD[編集]

チーム 勝点 試合
イランの旗 ゾブ・アハン 13 6 4 1 1 7 3 +4
サウジアラビアの旗 アル・シャバブ 11 6 3 2 1 8 4 +4
アラブ首長国連邦の旗 エミレーツ・クラブ 6 6 2 0 4 6 10 -4
カタールの旗 アル・ラーヤン 4 6 1 1 4 4 8 -4













東地区[編集]

グループE[編集]

チーム 勝点 試合
日本の旗 ガンバ大阪 10 6 3 1 2 13 7 +6
中華人民共和国の旗 天津泰達 10 6 3 1 2 8 6 +2
大韓民国の旗 済州ユナイテッドFC 7 6 2 1 3 6 10 -4
オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリー 6 6 1 3 2 7 11 -4



天津泰達 中華人民共和国の旗 2 - 1 日本の旗 ガンバ大阪
陳涛 25分にゴール 25分
曹陽 53分にゴール 53分 (pen.)
レポート 李根鎬 31分にゴール 31分
泰達足球場天津
観客数: 26,866






ガンバ大阪 日本の旗 3 - 1 大韓民国の旗 済州ユナイテッドFC
アドリアーノ 26分にゴール 26分48分
武井択也 88分にゴール 88分
レポート 辛泳録 67分にゴール 67分
万博記念競技場吹田
観客数: 11,398

天津泰達 中華人民共和国の旗 3 - 0 大韓民国の旗 済州ユナイテッドFC
オルギン 8分にゴール 8分
呉偉安 22分にゴール 22分
曹陽 71分にゴール 71分 (pen.)
レポート
泰達足球場天津
観客数: 26,683




ガンバ大阪 日本の旗 2 - 0 中華人民共和国の旗 天津泰達
遠藤保仁 74分にゴール 74分
宇佐美貴史 90+4分にゴール 90+4分 (pen.)
レポート
万博記念競技場吹田
観客数: 7,939

グループF[編集]

チーム 勝点 試合
大韓民国の旗 FCソウル 11 6 3 2 1 9 4 +5
日本の旗 名古屋グランパス 10 6 3 1 2 9 6 +3
アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン 7 6 2 1 3 4 9 -5
中華人民共和国の旗 杭州緑城 5 6 1 2 3 3 6 -3

杭州緑城 中華人民共和国の旗 2 - 0 日本の旗 名古屋グランパス
ラミレス 60分にゴール 60分
巴力 86分にゴール 86分
レポート
杭州黄龍体育中心杭州
観客数: 28,674


2011年3月2日
アル・アイン アラブ首長国連邦の旗 0 - 1 大韓民国の旗 FCソウル
レポート ダミヤノヴィッチ 25分にゴール 25分

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