CINEX

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CINEX
春を背負って』(木村大作監督)上映時
2014年7月16日撮影)
地図
情報
正式名称 CINEX
旧名称 岐阜東宝劇場
岐阜松竹地下劇場
開館 1995年3月22日
収容人員 (4スクリーン)639人
延床面積 5,700[1]
設備 ドルビーデジタル5.1ch、DLP
用途 映画上映
運営 岐阜土地興業株式会社
所在地 500-8876
岐阜県岐阜市日ノ出町2-20 CINEXビル内
位置 北緯35度25分6.5秒 東経136度45分29.7秒 / 北緯35.418472度 東経136.758250度 / 35.418472; 136.758250 (CINEX)座標: 北緯35度25分6.5秒 東経136度45分29.7秒 / 北緯35.418472度 東経136.758250度 / 35.418472; 136.758250 (CINEX)
最寄駅 名鉄名古屋本線各務原線名鉄岐阜駅より徒歩11分
最寄バス停 岐阜バス柳バス「柳ヶ瀬」停留所国道256号沿い)
柳バス「高島屋前」停留所
県道51号沿い)
外部リンク http://www.tochiko.co.jp/
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CINEX(シネックス)は、岐阜県岐阜市柳ヶ瀬地区にある映画館。スクリーン数は3スクリーン(2020年までは4スクリーン)だが、シネマコンプレックスを自称している。

岐阜タカシマヤの東側向かいに位置し、ぎふアジア映画祭の会場になることもある。

歴史・概要[編集]

1956年6月22日東宝系封切館「岐阜東宝」と松竹系封切の「岐阜松竹地下劇場」(初期は「岐阜地下劇場」、後に「岐阜松竹」)の2館体制で開業したのが始まりである[注 1]。こけら落としは『白夫人の妖恋』(豊田四郎監督)で、同作に出演した八千草薫が来館していた[2]。岐阜市出身の神山征二郎監督は「若い頃は隣の喫茶店でお茶を飲んだ後に映画を観ていた」と述懐しており[2]、自身のデビュー作だった『鯉のいる村』(1971年)を地下劇場で上映したこともあるという[2]1973年12月29日公開の『日本沈没』(森谷司郎監督)上映時は、貧血で倒れる観客が続出したという出来事がある[2]

1980年代以降も『ゴジラ』『ドラえもん』『男はつらいよ』シリーズなど数々のヒット作を上映してきたが、1991年、周辺で起こった火災を機に建て替え計画を加速させ、1993年1月31日に岐阜東宝と岐阜松竹を閉鎖[2]。総工事費30億円をかけ[3]1995年3月22日シネマコンプレックスを擁する地上8階・地下1階建ての商業施設ビル『CINEX』として再オープン[1]2020年で25周年を迎える。

2020年に最多座席数のCINEX1(290席)を閉鎖・改装し、2021年8月1日より「ぎふ葵劇場」が移転オープン。

エレベーターで上階の各スクリーン会場へ向かい、入場鑑賞する。ポイントカードサービスがあり、100円でカードを購入し6か月以内に鑑賞スタンプを5個集めると、無料映画鑑賞券(3か月有効)が1枚もらえる。

運営は岐阜土地興業株式会社である。岐阜土地興業は岐阜市内のロイヤル劇場関市シネックスマーゴも運営している。

CINEXビルのフロア構成[編集]

入居施設
8階
7階 ぎふ葵劇場
6階 CINEX2・3・4の映写室
5階 CINEX2(192席)、CINEX3(88席)、CINEX4(69席)
4階 戸田建設 工事事務所
3階
2階 スギ薬局柳ヶ瀬中央店[4]
1階 スギ薬局、モスバーガー、喫茶店「Denen」(デンエン)
地下1階 CINEXホール(イベントホール)

※以前は7階にCINEX1(290席)、1・2・3階に「GAMEアクセス柳ヶ瀬店(開業当時はセガの「岐阜GIGO」)が入居していた。また地下1階は当初イタリア料理店と台湾料理店が入っていたが[5]、程なくして貸ホールに転換されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 岐阜県の映画館「消えた映画館の記憶」を参照した[2]

出典[編集]

  1. ^ a b 柳ヶ瀬町日ノ出地区”. 市街地再開発課. 岐阜市 (2008年11月19日). 2014年6月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 「柳ケ瀬の“娯楽の顔”40年、『岐阜東宝』『岐阜松竹』想いで残し幕 改築へ31日閉館 2年後に複合ビル」『岐阜新聞』1993年1月23日
  3. ^ 「22日にオープン 岐阜の遊空間『CINEX』」『中日新聞』1995年3月12日
  4. ^ 柳ヶ瀬中央店”. 店舗情報. スギ薬局グループ. 2020年1月28日閲覧。
  5. ^ 柳ケ瀬『シネックス』がオープン しゃれたアミューズメント施設 待ちかねた若者どっと 活性化への“切り札”」『岐阜新聞』1995年3月23日

外部リンク[編集]