J.T.スノー

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J.T.スノー
J.T. Snow
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロングビーチ
生年月日 (1968-02-26) 1968年2月26日(56歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1989年 ドラフト5巡目(全体127位)でニューヨーク・ヤンキースから指名
初出場 1992年9月20日
最終出場 2008年9月27日[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジャック・トーマス・スノーJack Thomas Snow, 1968年2月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ出身の元プロ野球選手(一塁手)。左投左打(1998年まではスイッチヒッター[2])。

父のジャック・スノーは元NFL選手で、屈指のワイドレシーバーだった。

経歴[編集]

プロ入りとヤンキース時代[編集]

ロス・アラミトス高校時代は後に再び同僚となるロブ・ネンと一緒にプレーした。アリゾナ大学在学時の1989年MLBドラフトニューヨーク・ヤンキースから5巡目(全体127位)指名され、プロ入り。

1992年9月20日カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。

エンゼルス時代[編集]

1992年12月6日ジム・アボットとのトレードで、ラス・スプリンガー他1選手と共にカリフォルニア・エンゼルスへ移籍。 移籍1年目の1993年はレギュラーに定着し、開幕戦のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャー初本塁打を放つなど、4月は打率.343・6本塁打を記録。その後調子を落とし途中にマイナー降格もあったが、打率.241・16本塁打・57打点の成績を残す。1994年エドゥアルド・ペレス(後阪神)にポジションを奪われ、開幕をマイナーで迎えるものの、ペレスの不振に伴いメジャーに昇格。しかし1994年から1995年のMLBストライキによるシーズン打ち切りもあって打率.220・8本塁打・30打点に終わった。1995年は打率.289・24本塁打・102打点を記録。チームは途中2位に最大11ゲーム差を付けたが終盤に失速し、シアトル・マリナーズとのワンゲーム・プレイオフで敗れ、9年ぶりの地区優勝を逃した。オフに初のゴールドグラブ賞を受賞。1996年は打率.257・17本塁打・67打点と成績を落としたが、2年連続でゴールドグラブ賞を受賞する。11月26日に2選手との交換トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。

ジャイアンツ時代[編集]

1997年は打率.281・28本塁打・104打点・96四球を記録し、チームの8年ぶりの地区優勝に貢献する。フロリダ・マーリンズとのディビジョンシリーズは3連敗で敗退。ジャイアンツの組織内で最も大きな影響を与えた人物を、選手・球団スタッフ・コーチが選ぶ「ウィリー・マック賞」を受賞した。1998年は24本塁打・98打点。新球場パシフィック・ベル・パークが開場した2000年は19本塁打・96打点を記録し、チームは3年ぶりの地区優勝。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズ第2戦で、9回にクローザーアーマンド・ベニテスから同点3点本塁打を放つが延長10回の末敗れ、チームは1勝3敗で敗退した。2001年は故障もあって打率.246・8本塁打と不本意な成績に終わる。2002年も6本塁打と振るわなかったが、チームはワイルドカードを獲得。ポストシーズンを勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たす。史上初めてワイルドカード同士の対戦となった古巣・エンゼルスとのワールドシリーズでは、第1戦で本塁打を放つなど打率.407の活躍を見せるが、チームは3勝4敗で敗退し、移転後初のシリーズ制覇はならなかった。

2003年6月5日ミネソタ・ツインズ戦で球団史上3人目のスプラッシュ・ヒット(本拠地SBCパークの右翼フェンス後方のサンフランシスコ湾に飛び込む本塁打)を放つ。2004年は、規定打席不足ながら打率.327・出塁率.429・長打率.529を記録。オフには2度目のウィリー・マック賞を受賞。当時の監督フェリペ・アルーは「彼の存在感は、このクラブハウスでとても大きい。彼の練習に取り組む姿勢から、プロの姿勢を学んでいるチームメイトも多い」と語っている。2005年ランス・ニークロとのツープラトン起用ながら117試合に出場。堅実な守備を披露する一方で、若手にアドバイスを送るなど、ベテランらしい一面ものぞかせた。オフにFAとなった。

以後[編集]

2006年1月9日ボストン・レッドソックスと契約。ケビン・ユーキリスの控えとして起用されたが、打率.205と結果を残せず、6月19日に解雇された。2008年9月24日に古巣・ジャイアンツと契約。9月27日ロサンゼルス・ドジャース戦で先発メンバーに名を連ねたが出場はせず、現役引退。

引退後はジャイアンツでスペシャルアシスタントを務めた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績 (MLB)[編集]

















































O
P
S
1992 NYY 7 19 14 1 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 5 1 0 5 0 .143 .368 .214 .582
1993 CAL 129 489 419 60 101 18 2 16 171 57 3 0 7 6 55 4 2 88 10 .241 .328 .408 .736
1994 61 248 223 22 49 4 0 8 77 30 0 1 2 1 19 1 3 48 2 .220 .289 .345 .634
1995 143 606 544 80 157 22 1 24 253 102 2 1 5 2 52 4 3 91 16 .289 .353 .465 .818
1996 155 641 575 69 148 20 1 17 221 67 1 6 2 3 56 6 5 96 19 .257 .327 .384 .711
1997 SF 157 637 531 81 149 36 1 28 271 104 6 4 2 7 96 13 1 124 8 .281 .387 .510 .897
1998 138 500 435 65 108 29 1 15 184 79 1 2 0 7 58 3 0 84 12 .248 .332 .423 .755
1999 161 668 570 93 156 25 2 24 257 98 0 4 1 6 86 7 5 121 16 .274 .370 .451 .821
2000 155 627 536 82 152 33 2 19 246 96 1 3 0 14 66 6 11 129 20 .284 .365 .459 .824
2001 101 348 285 43 70 12 1 8 108 34 0 0 0 4 55 10 4 81 2 .246 .371 .379 .750
2002 143 494 422 47 104 26 2 6 152 53 0 0 0 6 59 5 7 90 11 .246 .344 .360 .704
2003 103 396 330 48 90 18 3 8 138 51 1 2 1 2 55 0 8 55 7 .273 .387 .418 .805
2004 107 417 346 62 113 32 1 12 183 60 4 0 2 4 58 0 7 61 5 .327 .429 .529 .958
2005 117 410 367 40 101 17 2 4 134 40 1 0 2 2 32 1 7 61 6 .275 .343 .365 .708
2006 BOS 38 53 44 5 9 0 0 0 9 4 0 0 0 0 8 0 1 8 1 .205 .340 .205 .545
2008 SF 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:16年 1716 6553 5641 798 1509 293 19 189 2407 877 20 23 24 64 760 61 64 1142 135 .268 .357 .427 .784
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

背番号[編集]

  • 60 (1992年)
  • 6 (1993年、1996年 - 2005年)
  • 43 (1994年)
  • 84 (2006年)

脚注[編集]

  1. ^ 最後にプレーしたのは2006年6月18日。
  2. ^ 「30球団マンスリー・リポート サンフランシスコ・ジャイアンツ 左打ち一本にして苦手左腕を克服 交流戦通算成績で打点王のスノー」『月刊メジャー・リーグ』 2000年9月号 ベースボール・マガジン社 57頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]