テレビマンユニオン

株式会社テレビマンユニオン
TV MAN UNION,INC.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
150-0001
東京都渋谷区神宮前5丁目53番67号
コスモス青山south棟
設立 1970年2月25日
業種 情報・通信業
法人番号 2011001015117 ウィキデータを編集
事業内容 テレビ、ラジオ番組の企画・CMの制作、映画の企画・制作、音楽の企画・制作、コンサート、舞台、出版、イベントの企画・制作、ビデオグラムやDVDの企画・制作、代理店業務、その他あらゆるコミュニケーション・メディアに関する業務
代表者 代表取締役社長 岸善幸
代表取締役副社長 國分禎雄
代表取締役副社長 杉田浩光
代表取締役副社長 刀根実香子
資本金 1億円
純利益 2,400万円
(2024年3月期)[1]
総資産 30億6,500万円
(2024年3月期)[1]
従業員数 約350人(契約者含む、2020年7月)
主要株主 テレビマンユニオンスタッフ
株式会社TBSテレビ
株式会社TBSアクト
株式会社IMAGICA Lab.
株式会社仕事
株式会社東京コンサーツ
萩本欽一
外部リンク https://www.tvu.co.jp/
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株式会社テレビマンユニオンは、日本テレビ番組制作プロダクションである。

歴史・概要

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1970年2月25日、東京放送(現・TBSホールディングス)を退職したディレクターが中心となって設立した日本で最初の独立系制作プロダクションである。技術分室は東京都港区赤坂6-4-2 赤坂MSビルディング。

設立の背景には、1967年10月にTBSニュース番組JNNニュースコープ』で放送されたベトナム戦争報道『ハノイ田英夫の証言』を巡り、自民党の怒りを買った事から担当したスタッフが現場から外されたこと、更に翌1968年3月、新左翼の後援を受けた三里塚芝山連合空港反対同盟の人員及びプラカードを輸送したTBS成田事件による処分に対して、TBS闘争と呼ばれる労働組合(ユニオン)員の報道局員がストライキをうった労働争議があった。この流れのなかで報道部門の萩元晴彦村木良彦、ドラマ部門の今野勉らディレクターが、1969年にTBSを退社。翌年のテレビマンユニオン設立に繋がった[2]

テレビマンユニオンは、TBSから発注された仕事を中心にこなしながら、数々のヒット番組を制作する。その成功に倣って、以降、制作プロダクションが続々と設立された。得手分野は海外取材や海外ロケを敢行する番組であり、日本テレビ系『アメリカ横断ウルトラクイズ』やTBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』などが代表的番組である。

現在の筆頭株主は、いわゆる従業員持株会の「テレビマンユニオンスタッフ」であるが、発起人の多くが在籍していたTBSテレビ、及びTBSアクト(旧東通)も大株主の一つとしてあがっている。

テレビ論

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独立系制作プロダクションの草分けと位置付けられ、制作業界ではオピニオンリーダー的立場を担ってきた。制作する番組は、テレビ番組に贈られる各賞を毎年のように受賞する。

同社がオピニオンリーダーと目される理由は、メンバーたちが徹底したテレビ論を発信し続けている点にある。

設立メンバーである萩元晴彦村木良彦今野勉の共著『お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か』(1969年)では、テレビ的表現とは何かを様々な人物へのインタビューなどを通して掘り下げた。テレビマンユニオンメンバーの精神的支柱ともなっているこの本は、表現の世界を志す大学生などに影響を与え、この本を契機にジャーナリストを志した者も多いという[誰?]。現在[いつ?]もなお、テレビ論の名著と高く評価されている[誰?]

演出手法

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表現論でも様々な手法を開拓してきた。日本初のドキュメンタリードラマ『太平洋戦争秘話 「緊急暗号電、祖国ヨ和平セヨ!」 - 欧州から愛をこめて』(1975年)では、ドラマとドキュメンタリーという異なるジャンルを融合させた。また、日本初の3時間ドラマ『海は甦える』(1977年)はのちの長時間ドラマブームの先駆けとなった。

制作会社で小型ビデオカメラを使った撮影を行ったのは同社が最初である。発足当初の1970年代にはスタジオを使えなかったという事情を逆手にとって、小型のビデオカメラを用いて屋外ロケをする番組を次々と制作。『遠くへ行きたい』、『マイテレビジョン』などは、当時出始めたENGと呼ばれる小型ビデオカメラを使用した先駆的な作品と評されている。それまでビデオカメラは大型で、ロケでは16ミリのフィルムカメラを使用していた。

また、日本で初めてビデオ撮影の海外ロケを行なったのも、同社の『欧州から愛をこめて』の撮影においてである。独立プロダクションの同社のビデオ撮影作品を支えたのは、1975年に東洋現像所(現・IMAGICA)が設立したビデオのポスト・プロダクション施設だった。

創設メンバーらは、TBS退職時に退職金の代わりに「チビ中」という愛称で使用してきた中継車1台の譲渡とする交渉を試みた。この中継車の機動性を利用し、街中からドラマも含めた番組制作を行うというアイデアがあった。結局この交渉は成立しなかった[3]

「下請け」からの脱却

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「制作会社=テレビ局の下請け」という構図から脱却し、独立した創造集団を目指してきたのも同社の特徴である。

3時間ドラマ『海は甦える』の制作においては、放送局のTBSではなく広告主である日立製作所へ企画を持ち込んだ。そして日立を直接スポンサーとして迎えた後に、TBSへ放送を持ちかけている。同じような手法で番組が立ち上がった『日立 世界・ふしぎ発見!』は、日立(グループ)の単独提供として30年以上続く長寿番組となっている。

積極的な経営

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同社のドキュメンタリーディレクター・是枝裕和が1995年、映画『幻の光』を監督したのを皮切りに映画制作も積極的に行っている。同作品は、第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞を獲得したほか、2004年に制作した映画『誰も知らない』(監督・是枝裕和)では主演俳優・柳楽優弥が、第57回カンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞した。

1996年の5月には、シネフィルの設立に際して出資を行なった。シネフィルはパーフェクTV!(後にスカイパーフェクTV!)で芸術的な映画を専門に放送するチャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」を運営する会社である。

経営手法

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株式会社ではあるが、「ユニオン」の名が示すように、「働くこと(製作)・資本出資(所有)・経営」の3つの要素、いわゆる労働者協同組合特定非営利活動法人の概念にほぼ近いものを、全メンバーで担う組合的な会社運営がなされる。テレビマンユニオンではこの制度をメンバーシップ制と呼んでいる。メンバー全員が株主であり、役員はメンバーの互選で選ばれる。また、待遇も採用の初年度こそ社員扱いであるが、メンバーになって以後は、出来高制となり、個人の才覚を重視して独立性が重んじる方針がとられている。[4]

主要株主として設立以来タレントの萩本欽一が名を連ね、かつては映画監督伊丹十三も株主のひとりだった。

ただ、過去に同社に在籍経験のある複数の人物が、「若手を使い潰す」「奴隷生活」といった点を問題としている。元同社社員(1992年入社)でルポライターの麻生晴一郎は「創設したばかりの頃は、視聴者を挑発するような組織だったようです」と語りつつも、「入社時は、誰もがやりたいことを持っていた筈です。でも、出来ないという現実を受け入れ、いつしか諦めていくんですね。それを成長と錯覚させるのが、あの社の土壌だったと僕は受け止めています」「在籍3年目くらいまでの社員は、自らの企画を立ち上げることなど認めない不文律がありました」と、若手の夢を摘んでいく様子を明らかにしている[5]

制作番組

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放送中のテレビ番組

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2022年4月現在。

過去のテレビ番組

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情報・バラエティ
特別番組
ドラマ

制作映画

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配給作品

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おもな受賞歴

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1972年
  • 「遠くへ行きたい 伊丹十三の日の出撮影大作戦」 ギャラクシー賞 第20回期間選奨
  • 「オーケストラがやって来た」 テレビ大賞 優秀番組賞
1975年
1977年
  • 「海は甦える」  テレビ大賞 優秀番組賞
1978年
1980年
  • 「小澤征爾の世界〜萩元晴彦音楽レポート」 ギャラクシー賞 第17回選奨
  • (株)テレビマンユニオン テレビ大賞特別賞
1982年
  • 「印象派・光と影の画家たち」 ギャラクシー賞
1983年
  • 「ドキュメンタリー特集・生命潮流」 テレビ大賞 優秀番組賞
  • 「波の盆」 テレビ大賞 優秀番組賞、文化庁芸術祭 テレビドラマ部門大賞
1984年
  • 「波の盆」 ATP賞 グランプリ
  • 「ふたりの約束」 テレビ大賞 優秀番組賞
1987年
  • 「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ 10周年記念シリーズ」 ギャラクシー特別賞、ATP賞 優秀賞
1988年
  • 「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」 ギャラクシー賞25周年記念 特別賞・ユーモア賞
1991年
  • 「NONFIX しかし…福祉切り捨ての時代に」 ギャラクシー優秀賞
  • 「ベルリン美術館 もうひとつのドイツ統一」 ギャラクシー特別賞
1995年
  • 「NONFIX SPECIAL 彼のいない八月が」 ギャラクシー第32回選奨
  • 「月曜スペシャル 真昼の月 続・病院で死ぬということ」 第21回放送文化基金賞(ドラマ部門)奨励賞
  • 「赤い夕日 小澤征爾、故郷の指揮台に立つ」 第10回文化庁芸術作品賞
  • 「三宅一生ドキュメンタリー ISSEY MIYAKE MOVES」 第42回コロンバス国際映画ビデオ祭 ブロンズ・アワード、第30回シカゴ国際映画祭 優秀賞、第28回ヒューストン国際映画祭 芸術文化部門 ブロンズ・アワード、第25回ナショナル・エデュケイショナル映画ビデオ祭 金賞
  • 映画「幻の光」 第52回ヴェネツィア国際映画祭 金のオゼッラ賞、第14回バンクーバー国際映画祭 ドラゴン&タイガーヤングシネマ賞(新人賞グランプリ)、第31回シカゴ国際映画祭 グランプリ(ゴールドヒューゴ賞)、第28回ジョルジュ・サドゥール賞 審査員特別賞
1996年
  • 「ドキュメンタリー人間劇場 鬼が染めし一竹辻が花」 第44回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル ブロンズ賞
  • 「NONFIX SPECIAL 彼のいない八月が(NONFIX "August Without Him")」 第44回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル 優秀作品賞
1997年
  • 「世界ウルルン滞在記」 第5回橋田賞
  • 「記憶が失われた時〜ある家族の2年半」 第23回放送文化基金賞
  • 「神々の指紋スペシャル」 第45回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル 優秀作品賞
1998年
1999年
  • 映画「ワンダフルライフ」 ブエノスアイレス映画祭 グランプリ
  • 「課外授業ようこそ先輩」 第25回放送文化基金賞 個人・グループ部門(放送文化)
2000年
  • 「花の中の華、桜と牡丹を描く 〜中島千波・創作の軌跡〜」 第48回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル 優秀作品賞
2001年
  • 「子供が見たルーヴル美術館」 ニューヨークフェスティバル アートドキュメンタリー部門 金賞、第37回シカゴ国際テレビジョン 教育部門 優秀賞
  • 映画「DISTANCE」 第16回高崎映画祭 最優秀作品賞
  • 「世界ウルルン滞在記」 グッドデザイン賞・審査委員長特別賞・メディアデザイン賞
2002年
  • 「世界ふしぎ発見!」 第10回橋田賞
2005年
  • テレビマンユニオン第53回菊池寛賞
  • 「ルネサンス500年・ヴァザーリの回廊」第55回芸術選奨文部科学大臣賞
  • 映画「スキージャンプ・ペア〜Road to TORINO 2006〜」第18回東京国際映画祭 日本映画ある視点部門 特別賞
2006年
  • 「五嶋龍のオデッセイ」(第1回〜10回)第23回ATP賞2006特別賞
2010年
2012年
  • 開拓者たち 第54回毎日芸術賞・第29回ATP賞テレビグランプリ2012総務大臣賞・第49回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞
2013年
  • テレビマンユニオン放送批評懇談会50周年記念賞
  • ラジオ第68回文化庁芸術祭テレビドラマ部門大賞・国際エミー賞テレビ映画部門ノミネート・シカゴ国際映画祭テレビ賞長編テレビ映画部門金賞・アジアテレビ祭単発ドラマ部門ノミネート・ドイツワールドメディアフェスティバル エンターテインメントその他部門金賞・国際ドラマフェスティバル in TOKYO2013東京ドラマアウォード2013 単発ドラマ部門優秀賞
2015年

所属タレント・アーティスト

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音楽事業部所属

脚注

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関連項目

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外部リンク

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