山中秀樹

やまなか ひでき
山中 秀樹
プロフィール
愛称 山ちゃん、山チュー
出身地 日本の旗 日本広島県広島市南区京橋町
生年月日 (1958-12-19) 1958年12月19日(65歳)
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学第一文学部社会学科社会学専修
所属事務所 タイタン
職歴フジテレビアナウンサー
ライツ開発局ライツ開発担当部長
活動期間 1981年 -
ジャンル 報道・情報・バラエティ
出演番組・活動
出演中サンデージャンクション
出演経歴FNNスーパータイム
FNNスピーク
笑っていいとも!
サンデージャポン』等
備考
途中で他部署に異動。

山中 秀樹(やまなか ひでき、1958年12月19日 - )は、日本のフリーアナウンサータレント。元フジテレビアナウンサー広島県広島市南区京橋町生まれ、広島市中区八丁堀、幟町育ち[1]タイタン所属。

来歴・人物

[編集]

愛称は「山ちゃん」「山チュー(『空飛ぶ!爆チュー問題』での役名から)」。血液型はO型。広島市立幟町小学校修道中学校・高等学校卒業。幟町小の同級生に應武篤良[2]、修道中・高の同級生にアニメーション監督の西尾大介、先輩に脚本家遊川和彦コラムニスト神足裕司(一学年上)ら、後輩には歌手吉川晃司らがいる。

先輩アナの福井謙二は小・中・高校の5年先輩にあたる。同郷・フジテレビの後輩には、福井の他にも三宅正治早稲田大学の後輩でもある)、西山喜久恵がいる。

1977年早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修に進学。中学生時代から初心貫徹でアナウンサーを志望し、『大相撲熱戦十番』(文化放送)や『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でADアルバイトをしていた。第一文学部の先輩には逸見政孝松倉悦郎がいる。アナウンス研究会の先輩には近藤雄介[3]、後輩には向坂樹興牧原俊幸、他局の後輩にはテレビ朝日森下桂吉(1歳上)、NHK栗田晴行TBS向井政生がいる。

NHKアナウンサーの杉浦圭子(現:NHK広島放送局エグゼクティブアナウンサー)は、同郷人かつ早稲田大学の同期であり、また放送研究会でも一緒だった。杉浦が東京アナウンス室時代に『7時のニュース』を担当していた当時、山中が『7時のニュース』での杉浦のアナウンスをチェックしていて、彼から厳しいアドバイスを度々貰っていたことを明かしていた[4]

1981年にフジテレビへ入社。同期には頼近美津子[5]本間淳子遠藤龍之介[6]鈴木克明[7]大多亮[8]などがいる。

若手時代は『プロ野球ニュース』でプロ野球各試合のダイジェストを担当していた。その後、報道へ移り、特に土日の報道番組キャスターを長く務めた。また、バラエティ番組笑っていいとも!」のコーナー、「テレフォンショッキング初代テレフォンアナウンサー[9]、『笑っていいとも!増刊号』のナレーションも同僚の吉沢孝明とともに長期間務めた。

2006年6月29日付で「ライツ開発局ライツ開発担当部長」へ異動し長年在籍したアナウンス室を離れたが、『湘南 OLD BOY 山中』『天才のパチンコ』(いずれもフジテレビ721・739)など、アナウンサー時代からの出演番組も掛け持ちした。

2006年10月20日にフリーになることを発表。同年12月末にフジテレビを退社、2007年1月から20年来の知人であり『ポンキッキーズ』『空飛ぶ!爆チュー問題』でも共演している爆笑問題が所属するタイタンに移籍した。

フジテレビ・フジテレビワンツーネクストで放送されている『男おばさん』(軽部真一笠井信輔)の名付け親でもある。

2007年1月1日、フジテレビの『第40回初詣!爆笑ヒットパレード』にて、ヘリコプター中継のカメラに映るコレオグラフィの指導者役としてフリーデビュー。同年1月10日には日本テレビラジかるッ』で他局初出演を果たし、その後に水曜レギュラーとなった。映画『スパイダーマン3』でニュースキャスターの吹き替えを担当した。

趣味落語観賞など。またパチンコも趣味の一つで、2005年からは趣味が昂じて『サンケイスポーツ』紙上でコラム「天才のパチンコ」」(隔週連載)を担当するようになった。同連載は2010年11月に「山中秀樹 パチパチLife」と改題して月1回連載となったが、現在も連載を継続している[10]

2019年で25歳になるフクと名付けた三毛猫を飼っている愛猫家である[11]

現在の出演番組

[編集]

過去の出演番組

[編集]

フリー転向後

[編集]

ほか多数

フジテレビ時代

[編集]

報道・情報番組

期間 番組名 役職 担当日
1983年3月28日 1985年3月29日 FNNモーニングワイド ニュース&スポーツ コーナーキャスター 平日
1986年10月4日
および
1992年4月4日
1987年9月27日
および
1997年3月30日
FNNスーパータイム キャスター 休日
1987年1月3日 1987年1月4日 FNNニュース・明日の天気 永島信道の代役 土・日曜日
FNNニュースレポート23:30
1987年10月1日 1988年3月31日 FNNモーニングコール 司会 平日
1988年4月2日 1991年3月31日 FNNニュース・明日の天気 キャスター 休日
1990年3月30日 FNN DATE LINE
1990年4月7日 1991年3月31日 FNNニュース(19時台)
FNN NEWSCOM
1991年4月5日 1991年9月27日 奥さまお手をどうぞ! ニュースコーナーキャスター 金曜日
1991年10月4日 1992年4月3日 ザ・ビッグチャンス!
1991年4月5日 1992年3月27日 FNNスピーク キャスター
1992年4月2日 1993年3月27日 木~土曜日
1993年4月3日 1995年4月1日 土曜日
1991年4月6日 1992年3月29日 産経テレニュースFNN 休日(昼)
1992年4月2日 1993年3月28日 木・金曜日(午後)、日曜日(昼)
1994年10月3日 1995年9月29日 FNNニュース2:00 シフト勤務キャスター (交替制)
2002年10月9日 2004年3月31日 F-2 NEWSレインボー発』キャスター 水曜日
2004年4月1日 2005年9月30日 F2-XF2スマイル (交替制)
2005年8月10日 2005年8月19日 こたえてちょーだい! 川合俊一の代役 平日

この他、1982年頃から1986年頃までは『おはよう!ナイスデイ』(リポーター)『プロ野球ニュース』(試合結果担当)を担当していた。

バラエティ番組・ドラマ(主にゲスト出演)

映画

[編集]

エピソード

[編集]
  • 広島出身で、元同僚の三宅正治や西山喜久恵同様広島東洋カープファンである。アンチ巨人ということもあり、就職活動でも読売ジャイアンツの兄弟会社であるという理由だけで日本テレビ読売テレビの受験をしないほど徹底していたが、フリー転身後には日本テレビやその系列局の番組にも出演するようになった(実際、入社試験で当時会長の鹿内信隆から「退職後に日テレの仕事が来たらどうするかね?」と聞かれると「死ぬまでフジテレビ以外の番組には出ません」と発言している)。
  • 大学時代からラジオテレビの両方での仕事を希望していたため、首都圏で唯一のラテ兼営局であるTBSが第一志望であった。またTBSの他には文化放送(フジテレビの兄弟会社)とフジテレビしか受験しておらず、3社受験で文化放送とフジテレビの2社から内定をもらったのだが、フジテレビではラジオの仕事ができないことと、当時のフジテレビは鹿内春雄による機構改革前のいわゆる“暗黒時代”であり、視聴率もTBS、日本テレビに遥か及ばぬ万年3位と低迷していたためフジテレビへの入社は最初は消極的であったという。また文化放送は「テレビで仕事ができない」という理由で内定を辞退している。
  • 20年くらい前から見た目はほとんど変わっておらず、むしろその頃は今よりも太っていたため当時20代後半であったにもかかわらず、周囲や視聴者からは40代前半か半ばの中年男性と見られていたという。実際、「FNNスーパータイム」を先輩の城ヶ崎祐子と共に担当していた頃、山中は城ヶ崎より3歳年下であるにもかかわらず、「年上の男性に生意気な口をたたく小娘」「アナウンサーのくせに上司に対しての礼儀も知らないのか!」という苦情が城ヶ崎に対して数多く寄せられていたため、互いにこの誤解には苦笑いしていた。
  • 1997年1月1日、『めざましテレビ』の元旦スペシャルにおいて報道センターから最初のニュースを担当したが、その際に「はい、あっうあーえー、あけましておめでとうございます」と第一声を失敗してしまった。その直後に、「えー、あんまり寝てないもんですからどうもすみません、第一声からこんな声で」と苦笑いしながらも第一声の失敗に謝罪していた。
  • こちら山中デスクです』(TBSラジオ)で共演しており、かつ同郷(広島県出身)の後輩でもあるTBSアナウンサーの久保田智子とはフジテレビ時代から親交があった。彼女との最初の出会いは2002年、山中の母校・早稲田大学の先輩であり、フジテレビの大先輩である露木茂からの紹介がきっかけであった(当時、久保田はフリーに転身したばかりの露木と共に『おはよう!グッデイ』の司会を務めていた)。また露木は2007年4月9日放送の『こちら山中デスクです』にゲスト出演しており、これによりメディアの前で初めて3人での共演を果たした。
  • 日本テレビやTBSの番組の仕事でも、フジテレビ時代の元同僚と仕事をすることが非常に多い。『踊る!さんま御殿!!』で後輩の有賀さつきと共にゲスト出演を果たし、『サンデージャポン』では取材先の宮崎県庁舎内で後輩の河野景子(宮崎県出身)と偶然出くわしてミニインタビューを行った。『ザ!世界仰天ニュース』では元同僚の木佐彩子富永美樹深澤里奈と共演した。また先述の露木や、フジテレビ入社後の2年間(1981年~1983年)共に同僚時代をおくった先輩の田丸美寿々を『こちら山中デスクです』にゲスト招聘して、彼らがフジテレビ時代に行った歴史的なニュースの取材についてのエピソードを聞き出したりと、フジテレビの同僚時代にはありえなかったスタイルやトークで先輩や後輩との共演を果たしている。
  • 2008年11月23日に放送された『ウチくる!?』(フジテレビ系)で先輩の露木、福井、元同僚の近藤サト、富永と共演し、フジテレビ時代の思い出を語った。退社後のフジテレビ出演は1年半ぶりであった。
  • 2005年の放映の『FNS27時間テレビ』では第7代、6人目の立会人を務めた(その年入社した新人アナウンサーは田淵裕章遠藤玲子平井理央宮瀬茉祐子の4人)。翌年の『FNS27時間テレビ』から先輩の堺正幸が務めた。
  • フジテレビを定年前に退職し、フリーに転身した男性アナウンサーは1988年春退社の逸見政孝以来18年ぶりの事だった(それ以前は八木亜希子小島奈津子、木佐彩子、内田恭子など女性アナのフリー転身が多かった)[13]
  • 『FNNスーパータイム』担当時(2期目)にはかつての先輩・上司であった逸見の訃報を伝えている。また、1988年4月には『Date Line』にて当時のフジテレビ会長・鹿内春雄の訃報も伝えた。
  • フリー転向後、『サンデージャポン』で宮崎県知事時代の東国原英夫の密着取材をしていたが、これがきっかけで2007年11月25日に、宮崎産業経営大学で行われた就職啓発セミナーに講師として出席した(メインの講師として東国原英夫も出席)。

脚注

[編集]
  1. ^ デイリースポーツ』広島版、2008年3月11日16頁。
  2. ^ デイリースポーツ』広島版連載、「山中秀樹のつぶやき散歩道」2010年11月9日7頁。
  3. ^ 2015年5月で退社し、現在はフリー
  4. ^ このことについては杉浦がかつて『サンデー毎日』にて連載していたコラム「杉浦圭子のステーションブレーク」で明かしていた。
  5. ^ ただし彼女はNHKからの移籍入社であるため先輩にあたる。
  6. ^ 現フジテレビ副会長。
  7. ^ テレビ西日本相談役。
  8. ^ 現フジテレビ専務取締役。
  9. ^ デイリースポーツ』広島版、2011年1月18日17頁。
  10. ^ 【山中秀樹】勝手に新台ベスト3 アーカイブ 2010年11月19日 - ウェイバックマシン - サンケイスポーツ・2010年11月11日
  11. ^ デイリースポーツ広島版2019年11月18日20面. 2019年11月18日閲覧。
  12. ^ JR西日本の「エクスプレスE予約」「J-WESTカード」の宣伝番組であるが、脱線事故の影響のためJR西日本のクレジットは無し。なお、在広局制作番組では、JR西日本の提供クレジットが復活している。
  13. ^ 先輩の露木、野間脩平はフジテレビを定年退社後にフリーに転身した。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]