嶺南
嶺南のデータ | ||
国 | ![]() | |
地方 | 中部地方、北陸地方、近畿地方 | |
面積 | 1,099.91 km² | |
推計人口 | 127,672 人 (全県比:17.3%) (2025年1月1日) | |
![]() 1. 敦賀市 / 2. 小浜市 / 3. 美浜町 / 4. 高浜町 / 5. おおい町 / 6. 若狭町 |
嶺南(れいなん)は、福井県の山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠以南の地域名。令制国の若狭国全域と越前国敦賀郡(現・敦賀市)に相当する。若狭地方と呼ばれることもあるが、若狭国とは範囲が異なる。
概要
[編集]呼称は、北陸道(北国街道)の難所である木ノ芽峠(木嶺)より南側を『木嶺以南』(もくれいいなん)と呼び始めた事に由来する。木ノ芽峠(木嶺)は1876年の敦賀県廃止による石川県・滋賀県への編入時に両県の県境となり、1881年の福井県再設置以降も地域区分の境界となっている。
嶺北との境界は山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠の稜線である。地域名としては天気予報などで日常的に用いられる。嶺南には若狭湾岸、江戸時代の小浜藩領および支藩の敦賀藩領といった共通項が見られる(後節も参照)。
観光ガイドなどで北近畿に含まれることもある。京都までの距離が短く、道中では琵琶湖水運も利用できるため、若狭湾岸の港は歴史的に京都の「日本海側の外港」という側面を持っており、近江国とのつながりも強い。その影響もあって、嶺南地方で話されている方言(嶺南方言)は近畿方言に分類され、舞鶴弁や近江弁などに近い。
また、嶺南には原子力発電所が多く立ち並ぶため「原発銀座」としても知られる。敦賀市以外の嶺南地域は中日本エリアでは三重県の熊野市地域とともに関西電力送配電の営業地域となっている。
自治体
[編集]以下の2市3郡4町からなる。
地域名称
[編集]この地域を表す名称として、嶺南のほかに若狭という名称が用いられることもある。敦賀市は、令制国では北陸道の入口として越前国に属しているが、若狭湾に面する地理的な位置や、江戸時代には若狭酒井家の統治する小浜藩(若狭藩)の領地(越前敦賀郡の大部分は小浜藩領(若狭藩領)・残りが小浜藩(若狭藩)の支藩である敦賀藩の領地)であった歴史的背景から、便宜的に嶺南を「若狭」という名称で扱われることがままある[1]。一方で、1942年の地方官官制改正による地方事務所の区分でも見られる、敦賀市と三方郡の嶺南東部を「二州」[2]、遠敷郡(小浜市など)と大飯郡の嶺南西部を「若狭」と表示される例もある。ただし、若狭(旧国名)に比べて、二州(「二」は越前国と若狭国の2国、あるいは敦賀郡と三方郡の2郡を指す)の名称はあまり一般的ではない。
地理
[編集]若狭湾沿岸は、地形が入り組んだリアス式海岸が続き、平野が狭小であるため、古くから港を中心にして発展してきた。奈良・平安時代から畿内の外港として機能し、渤海国からの使節が寄港し、宿泊する松原客館が置かれたほか(気比松原)、江戸時代には、出羽国や加賀国から、京や大坂へ物資を運ぶ北前船の寄港地となり、鯖街道を通して京や近江との交流が盛んで、現在でも京都府・滋賀県とも繋がりが深い地域である。また風光明媚な海岸として、福井県内は元より、県外から若狭湾へ海水浴に訪れる者も多くみられる。
- 地形
都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷
[編集]金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は都市雇用圏に則する。一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
- 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
自治体 ('80) | 1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 2015年 | 自治体 (現在) |
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敦賀市 | 敦賀 都市圏 8万4886人 | 敦賀 都市圏 9万1080人 | 敦賀 都市圏 8万9049人 | 敦賀 都市圏 8万8928人 | 敦賀 都市圏 7万9425人 | 敦賀市 | ||
美浜町 | 美浜町 | |||||||
三方町 | 小浜 都市圏 5万8179人 | 若狭町 | ||||||
上中町 | 小浜 都市圏 4万5287人 | 小浜 都市圏 4万4833人 | 小浜 都市圏 4万4676人 | 小浜 都市圏 4万4395人 | ||||
小浜市 | 小浜市 | |||||||
名田庄村 | おおい町 | |||||||
大飯町 | - | - | - | - | ||||
高浜町 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 高浜町 |
原子力発電所
[編集]道州制
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]テレビ局
[編集]その他
[編集]大浦半島の付け根に位置する志楽谷(現在の舞鶴市志楽)は、遅くとも分国前の和銅2年(709年)には丹波国に属していたが、北東部の田結(同・田井)など半島の大部分は奈良時代(710年 - 794年)前期まで若狭国に属していたことが分かっている。
脚注
[編集]- ^ 観光ガイドで、敦賀を「若狭エリア」に掲載しているものがある。
- ^ 福井県の施設である二州健康福祉センターは、敦賀市・若狭町(旧三方地区)・美浜町をエリアに入れている。