赤穂郡
人口12,933人、面積150.26km²、人口密度86.1人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 上郡町(かみごおりちょう)
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる[1]。
歴史
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 24村 | 上土井村、○真広村、二木村、○小河村、門野村、榊村、二柏野村、大杉野村、與井村、與井新村、新山寺、佐用谷村、宇野山村、休次村、中野村(現・上郡町)、原村、牟礼東村、下村、山野里村、河野原村、苔縄村、赤松村、細野村、大酒村 |
旗本領 | 12村 | 上松村、入野村、東後明村、高野須村、西後明村、宮野尾村、八洞村、雨内村、出村、田井村、若狭野村、奥野山村 | |
藩領 | 播磨赤穂藩 | 1町 39村 | 真木村、鳥撫村、織方村、木生谷村、大津村、新田村、塩屋村、加里屋町[3]、中村、尾崎村、新浜村、坂越村、南野中村、北野中村、砂子村、浜市村、木津村、目坂村、根木村、高野村、佐方村、那波村、陸村、相生村、池之内村、楢原村、真殿村、中山村、栗栖村、下菅生村、上菅生村、黒沢村、西有年村、宿村[4]、船坂村、落地村、上栗原村、下栗原村、別名村、名村 |
摂津尼崎藩 | 28村 | 下土井村、下田村、瓜生村、上村、森村、中野村(現・相生市)、金坂村、釜出村、金出地村、鍋倉村、野桑村、尾長谷村、上郡村、西之山村、神明寺村、宇治山村、奥村、高田宿村、正福寺村、周世村、高山村、行頭村、大皆坂村、大持村、井上村、大枝村、細念村、小赤松村 | |
播磨安志藩 | 18村 | 下頃村、菅谷村、能下村、三濃山村、富万寺[5]、小野豆村、釜島村、横尾村、大枝新村、鍛冶村、倉尾村、小皆坂村、黒石村、抜位村、市原村、柏野村、楠木村、国見村 | |
赤穂藩・尼崎藩 | 2村 | 岡村、竹万村 | |
幕府領・藩領 | 旗本領・尼崎藩 | 1村 | 寺田村 |
- 明治初年 - 栗栖村・下菅生村・上菅生村が合併して東有年村となる。(1町122村)
- 明治2年(1869年) - 旗本領が兵庫県の管轄となる。
- 明治3年(1870年)
- 11月 - 兵庫県の管轄地域が生野県の管轄となる。
- 黒沢村が東有年村に合併。(1町121村)
- 明治4年
- 明治5年(1872年) - 根木村・周世村が合併して立巌村となる。(2町120村)
- 明治9年(1876年)(2町113村)
- 8月21日 - 第2次府県統合により兵庫県の管轄となる。
- 真木村・鳥撫村が合併して鷆和村となる。
- 小皆坂村・黒石村・抜位村・市原村が合併して旭日村となる。
- このころ細念村・鍛冶村・倉尾村が合併して岩木村となる。
- 国見村が楠木村に合併。
- 明治10年(1877年)(2町106村)
- 宿村・船坂村が合併して梨ヶ原村となる。
- 上栗原村・下栗原村が合併して栗原村となる。
- 名村・大皆坂村・岡村が合併して八保村となる。
- このころ鍋倉村・大杉野村・富万寺が合併して大富村となる。
- このころ新山寺が奥村に合併。
- 明治11年(1878年)(2町102村)
- 高野須村・宮野尾村が合併して野々村となる。
- 田井村・奥野山村が合併して福井村となる。
- 門野村が榊村に、下頃村が下田村にそれぞれ合併。
- 明治12年(1879年)1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、行政区画としての赤穂郡が発足。郡役所が加里屋町に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町15村)
- 赤穂町 ← 加里屋町、上仮屋町、中村(現・赤穂市)
- 相生村 ← 相生村、揖西郡野瀬村(現・相生市)
- 塩屋村 ← 塩屋村、新田村、大津村、木生谷村、織方村、鷆和村(現・赤穂市)
- 尾崎村(単独村制。現・赤穂市)
- 新浜村(単独村制。現・赤穂市)
- 坂越村 ← 坂越村、北野中村、南野中村、浜市村、高野村、砂子村(現・赤穂市)
- 高雄村 ← 立巌村、目坂村、木津村、真殿村、中山村(現・赤穂市)
- 那波村 ← 那波村、佐方村、陸村、池之内村(現・相生市)
- 若狭野村 ← 野々村、入野村、東後明村、西後明村、若狭野村、福井村、上松村、出村、八洞村、雨内村、下土井村、寺田村(現・相生市)
- 矢野村 ← 榊村、能下村、釜出村、金坂村、中野村、森村、三濃山村、瓜生村、上村、菅谷村、二木村、真広村、上土井村、小河村、下田村(現・相生市)、二柏野村(現・たつの市)
- 高田村 ← 中野村、正福寺村、神明寺村、宇治山村、宇野山村、小野豆村、與井新村、與井村、奥村、休次村、釜島村、佐用谷村、高田宿村、西之山村(現・上郡町)
- 上郡村 ← 上郡村、井上村、大持村、山野里村、竹万村(現・上郡町)
- 鞍居村 ← 野桑村、尾長谷村、大富村、金出地村(現・上郡町)
- 赤松村 ← 苔縄村、大枝村、大枝新村、岩木村、柏野村、細野村、赤松村、河野原村、楠木村(現・上郡町)、旭日村(現・上郡町、佐用郡佐用町)、大酒村、小赤松村(現・佐用郡佐用町)
- 船坂村 ← 八保村、栗原村、落地村、行頭村、下村、別名村、高山村、梨ヶ原村(現・上郡町)
- 有年村 ← 東有年村、西有年村、横尾村、楢原村、牟礼東村、原村(現・赤穂市)
- 明治24年(1891年)3月25日 - 矢野村の一部(二栢野)が揖西郡西栗栖村に編入。
- 明治29年(1896年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正2年(1913年)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和6年(1931年)11月1日 - 那波村が町制施行して那波町となる。(4町12村)
- 昭和11年(1936年)8月1日 - 坂越村が町制施行して坂越町となる。(5町11村)
- 昭和12年(1937年)4月1日 - 塩屋村・尾崎村・新浜村が赤穂町に編入。(5町8村)
- 昭和14年(1939年)4月1日 - 那波町が相生町に編入。(4町8村)
- 昭和17年(1942年)10月1日 - 相生町が市制施行して相生市となり、郡より離脱。(3町8村)
- 昭和26年(1951年)9月1日 - 赤穂町・坂越町・高雄村が合併して赤穂市が発足し、郡より離脱。(1町7村)
- 昭和29年(1954年)8月1日 - 若狭野村・矢野村が相生市に編入。(1町5村)
- 昭和30年(1955年)
変遷表
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和9年 | 昭和10年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
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相生(おお)村 | 大正2年1月1日 町制 相生町 | 昭和14年4月11日 改称 相生(あいおい)町 | 昭和17年10月1日 市制 相生市 | 相生市 | 相生市 | 相生市 | 相生市 | ||
那波村 | 昭和6年11月1日 町制 那波町 | 昭和14年4月1日 相生町に編入 | |||||||
若狭野村 | 若狭野村 | 若狭野村 | 昭和29年8月1日 相生市に編入 | ||||||
矢野村 | 矢野村 | 矢野村 | |||||||
明治24年3月25日 揖西郡 西栗栖村に編入 | 揖保郡西栗栖村 | 昭和26年4月1日 揖保郡新宮町 | 揖保郡新宮町 | 平成17年10月1日 たつの市 | たつの市 | ||||
赤穂町 | 赤穂町 | 赤穂町 | 昭和26年9月1日 赤穂市 | 赤穂市 | 赤穂市 | 赤穂市 | |||
塩屋村 | 塩屋村 | 昭和12年4月1日 赤穂町に編入 | |||||||
尾崎村 | 尾崎村 | ||||||||
新浜村 | 新浜村 | ||||||||
坂越村 | 坂越村 | 昭和11年8月1日 町制 坂越町 | |||||||
高雄村 | 高雄村 | 高雄村 | |||||||
有年村 | 有年村 | 有年村 | 有年村 | 昭和30年4月1日 赤穂市に編入 | |||||
上郡村 | 大正2年4月1日 町制 上郡町 | 上郡町 | 上郡町 | 昭和30年3月25日 上郡町 | 上郡町 | 上郡町 | |||
高田村 | 高田村 | 高田村 | 高田村 | ||||||
鞍居村 | 鞍居村 | 鞍居村 | 鞍居村 | ||||||
船坂村 | 船坂村 | 船坂村 | 船坂村 | ||||||
赤松村 | 赤松村 | 赤松村 | 赤松村 | ||||||
昭和30年3月25日 佐用郡 久崎町に編入 | 昭和33年6月15日 佐用郡上月町 | 平成17年10月1日 佐用郡佐用町 | 佐用郡 佐用町 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)1月8日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 28 兵庫県、角川書店、1988年9月1日。ISBN 4040012801。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
関連項目
- 矢野村強盗殺人事件 - 赤穂郡で発生した事件