アジア系アルゼンチン人

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アルゼンチンアジア人 は、20世紀アジア諸国からの移民の子孫(2世、3世)が多数を占めている。

首都ブエノスアイレスなどに住み、民族集団居住(中華街日本町など)を形成する場合もある。多くは服飾、生活雑貨・食料品レストランなどを経営している。

歴史[編集]

第1波[編集]

20世紀初期、少数の日本移民(主に沖縄県出身者)がアルゼンチンに移住した。1911年、最初のアルゼンチン生まれの "日系2世" Seicho Arakaki が誕生している。

今日、約32,000人の日系人が国内に住む( 財団法人 海外日系人協会, Association of Nikkei and Japanese Abroad による)。

第2波[編集]

1960年代韓国起業家を中心とした、アジア移民がブエノスアイレスに移住した。今日、22,024人[1]の韓国系アルゼンチン人が国内に住む(特にブエノスアイレス、Balvanera 地区、Flores 地区に多く住む)。彼らは主に服飾の製造・販売に携わっている。

第3波[編集]

1990年代中国本土台湾などの起業家多数がブエノスアイレスに移住した。多くは雑貨店などを営む。国内主要紙クラリンによると、今日6万人以上の中国移民、移民子孫が国内に居住している。ベルグラノ地区(ブエノスアイレス)の佛教寺院周辺地域にチャイナタウンが形成されている。

アルゼンチンは、南アメリカ最大のラオ人(Lao people)コミュニティーがある(約2,000人)。

1999年2002年経済危機時、アジア系アルゼンチン人の中はアメリカ合衆国カナダに移住する人々も居た。

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]