アトリー伯爵
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アトリー伯爵 Earl Attlee | |
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創設時期 | 1955年12月16日 |
創設者 | エリザベス2世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代伯クレメント・アトリー |
現所有者 | 3代アトリー伯ジョン・リチャード・アトリー |
相続人 | なし |
推定相続人 | なし |
相続資格 | 初代伯の男系男子 |
付随称号 | プレストウッド子爵 |
現況 | 存続 |
モットー | 労働は万事を克服す (Labor Vincit Omnia) |
アトリー伯爵(英語: Earl Attlee)は、イギリスの伯爵位。連合王国貴族。1955年に元首相クレメント・アトリーが叙されたのに始まる。
歴史
[編集]労働党の政治家で1945年から1951年まで首相を務めたクレメント・アトリー(1883年 – 1967年)が1955年12月16日に連合王国貴族としてアトリー伯爵(Earl Attlee)及びエセックス州ウォルサムストーのプレストウッド子爵(Viscount Prestwood, of Walthamstow, county of Essex)に叙された[1][2][3]。
初代伯の死後、唯一の男子であるマーティン・リチャード・アトリー(1927年 – 1991年)が第2代アトリー伯爵位を継承した[2]。2代伯マーティンは父同様に労働党の政治家として活動したが、1982年に社会民主党に入党、鞍替えを果たしている[4][5]。
2代伯の死後、唯一の男子であるジョン・リチャード・アトリー(1956年 - )が第3代アトリー伯爵位を継承した。ジョンが2015年現在の当主である。しかし彼には2020年現在のところ子供がない[2]。他に継承可能な人物もないので、このまま3代伯が男子ができないまま死去した場合には爵位は廃絶することになる。
伯爵家のモットーは『労働は万事を克服す(Labor Vincit Omnia)』[2]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第3代アトリー伯爵ジョン・アトリーは以下の爵位を有する[2]。
- 第3代アトリー伯爵(3rd Earl Attlee)
(1955年12月16日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第3代エセックス州ウォルサムストーのプレストウッド子爵(3rd Viscount Prestwood, of Walthamstow in the County of Essex)
(1955年12月16日勅許状による連合王国貴族爵位)
アトリー伯爵(1955年)
[編集]- 初代アトリー伯爵クレメント・リチャード・アトリー(1883年 – 1967年)
- 2代アトリー伯爵マーティン・リチャード・アトリー(1927年 – 1991年)
- 3代アトリー伯爵ジョン・リチャード・アトリー(1956年 - )
出典
[編集]- ^ Kenneth Baker, 松村 昌家訳 (2018-05-31). 『風刺画で読み解くイギリス宰相列伝―ウォルポールからメージャーまで』. ミネルヴァ書房. p. 185. ISBN 978-4-623-07946-9
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Attlee, Earl (UK, 1955)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月7日閲覧。
- ^ "No. 40656". The London Gazette (英語). 16 December 1955. 2020年11月21日閲覧。
- ^ "ATTLEE, 2nd Earl (Martin Richard Attlee)". Who's Who & Who Was Who (英語). Vol. 2018 (online ed.). A & C Black. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入) (要購読契約)
- ^ “Earl Attlee, 63, Dies; Founded British Party”. The New York Times. Associated Press. (28 July 1991) 12 September 2020閲覧。