アーヘンの和約 (1668年)
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アーヘンの和約(1668年) | |
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通称・略称 | 第一次アーヘン和約 |
署名 | 1668年5月2日 |
署名場所 | アーヘン |
締約国 | イングランドとオランダとスウェーデンの新教国による三国同盟とフランス王国 |
主な内容 | ネーデルラント継承戦争の講和条約 |
関連条約 | アーヘンの和約 (1748年) |
アーヘンの和約(アーヘンのわやく、英語: Treaty of Aix-la-Chapelle)は、1668年5月2日にアーヘンで締結された、ネーデルラント継承戦争の講和条約[1]。
第一次アーヘン和約とも称される (第二次は1748年の和約)。
歴史
[編集]フランドル戦争(南ネーデルラント継承戦争)の講和条約。イングランドの駐ハーグ外交官ウィリアム・テンプルが中心になって結成された。イングランドとオランダとスウェーデンの新教国による三国同盟の圧力にフランス王国のルイ14世が屈し、南ネーデルラント(現ベルギー)からの撤兵を取り交わした条約。
フランス・ブルボン家が、スペイン・ハプスブルク家からフランドルの12の軍事拠点を奪った。ただし、戦争中に占領していたカンブレー、サントメール、フランシュ=コンテは返還した[1]。
1669年5月7日にはイングランド、オランダ、スウェーデンがハーグで協定を交わし、条約を保証するとした[1]。スペインは後にこの協定に加入した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
関連項目
[編集]- アーヘンの和約 (1748年)
- ユーグ・ド・リオンヌ - フランス側の外交官、締結者。