ジョージ・M・ギルバート

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ジョージ・M・ギルバート: George Miles Gilbert、生没年不詳)は、明治時代お雇い外国人として来日したイギリス電信技師である。

経歴・人物[編集]

明治2年(1869年)、息子のA・E・ギルバートと共に来日[1]。同年、寺島宗則神奈川の役人たちと共に東京 - 横浜間の電信線の工事を指導した[2]。また、ギルバートは始点の東京と終点の横浜に日本初の伝信機役所を設置した[2]。同電信線は同年12月25日に完成した[2]

この電信線が完成した後の翌明治3年(1870年)には同じく大阪 - 神戸間の電信線の工事を指導した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本大百科全書
  2. ^ a b c おくのその (2013年3月8日). “それぞれの道へ-寺島宗則(2)-”. 薩摩藩英国留学生記念館. 2019年3月1日閲覧。

外部リンク[編集]