ダスキン労働組合

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ダスキン労働組合
(ダスキン労組)
Duskin Workers' Union
(DUSKIN UNION)
設立年月日 1999年平成11年)6月5日
組織形態 企業別労働組合
組合員数 約3,000人
国籍 日本の旗 日本
本部所在地 564-0051
大阪府吹田市豊津町1-33ダスキンイーストピア2階
加盟組織 UAゼンセン
公式サイト ダスキン労働組合

ダスキン労働組合(ダスキンろうどうくみあい、略称:ダスキン労組(ダスキンろうそ)、英語:Duskin Workers' Union、略称:DUSKIN UNION)は、日本労働組合である。日本労働組合総連合会(連合)の構成組織であるUAゼンセンに加盟している。

株式会社ダスキンおよび関係会社18社(フランチャイズ加盟店は対象外)で働く従業員(通称:働きさん)を中心に、一部のパートタイム労働者も組合員として組織されている。ダスキン本社内に組合本部を設置し、全国7支部を組織している。中央執行委員16名(うち専従者4名)、支部執行委員54名、代議員135名。現在の中央執行委員長は三代目である。(2014年12月31日現在)

近年、改正労働契約法に先駆け、有期雇用者の無期転換制度(契約期間3年超で無期労働契約へ)を導入したことで労働界から注目された[1][2][3]。その他、一般的な労働組合の機関紙は年4回程度(季刊)の発行が多いと言われている中、当労組の組合員情報誌『Dear』は、毎月発行されており、UAゼンセン第1回機関紙・誌コンクールにおいても入選を果たしている。

成立

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「ノーと言えない」会社の経営体質を疑問視した立ち上げメンバー20名(当時)が設立機会を模索し、会社にバレないように水面下で地道なオルグ活動を行った。賛同者が伸び悩む中、1999年(平成11年)6月5日に結成大会を開催し、その後はゼンセン同盟(当時)の全面的な支援を受けながら全国オルグを展開した。当初は会社より執拗な不当労働行為を受け、労働委員会に救済を申し立てた苦い過去がある。その後、長らく運営されてきた社員共済会(クローバ会)は発展的に解散した。会社の歴史と比較して、労働組合の歴史が意外と浅いのはこれらの理由による。

やがて、国内で認可されていない食品添加物(TBHQ)を使用した「ミスタードーナツ肉まん事件」が発覚し[4]、先行きが不透明な中、元日本弁護士連合会会長の中坊公平を顧問に招聘し、労働組合主導で再生委員会を立ち上げた。そして、当該事件に関与した旧経営陣を一掃し、真摯な話合いを基調とした健全な労使関係を構築した経緯がある。現在も定期的に労使協議会が開催されるなど、労使協調路線を踏襲している。

沿革

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結成大会~創生期まで

  • 1999年6月5日 - 労働組合結成大会(賛同者は421名のみ)
  • 1999年6月21日 - 会社へ結成通知および団体交渉の申し入れ
  • 1999年6月24日 - 旧労働省にて記者会見 翌日には新聞各社が報道(日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞)
  • 1999年8月5日 - 大阪府地方労働委員会(当時)へ不当労働行為救済の申立 平成11年(不)第70号ダスキン事件
  • 1999年8月6日 - 第1回団体交渉(決裂)
  • 1999年9月24日 - 会社より和解の意向が示される
  • 1999年10月4日 - 不当労働行為救済申立を取り下げ 
  • 1999年11月16日 - 暫定労働協約およびユニオン・ショップ協定を締結
  • 1999年12月31日 - クローバ会(当時の社員共済会)を発展的解散
  • 2002年5月10日 - ミスタードーナツ肉まん事件発覚
  • 2002年7月8日 - 中坊公平を労働組合の顧問として招聘
  • 2002年7月16日 - 第1回再生委員会(以降、第9回まで開催)
  • 2002年11月23日 - 臨時株主総会(取締役全員が退任、経営刷新)

脚注

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  1. ^ [1]独立行政法人労働政策研究・研修機構「労働政策フォーラム(24年改正労働契約法への対応を考える)」2014年3月10日
  2. ^ [2]独立行政法人労働政策研究・研修機構「ビジネス・レーバー・トレンド 2014年6月号」
  3. ^ 労働大学出版センター監修「月刊労働組合 2013年5月号」
  4. ^ 日本経済新聞(朝刊)2002年5月10日

関連項目

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外部リンク

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