ノイシュトレーリッツ
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紋章 | 地図 (郡の地図) |
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基本情報 | |
連邦州: | メクレンブルク=フォアポンメルン州 |
郡: | メクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡 |
測地系: | 北緯53度21分53秒 東経13度03分49秒 / 北緯53.36472度 東経13.06361度 |
標高: | 海抜 75 m |
面積: | 138.15 km² |
人口: | 20,140人 (2018年) |
人口密度: | 150人/km2 |
郵便番号: | 17235 |
市外局番: | 03981 |
ナンバープレート: | MST |
自治体コード: | 13 0 71 110 |
市の構成: | 13 市区 |
市庁舎の住所: | Markt 1 17235 Neustrelitz |
公式ウェブサイト: | www.neustrelitz.de |
行政 | |
市長: | Andreas Grund |
ノイシュトレーリッツ(Neustrelitz、ドイツ語発音: [nɔʏˈʃtʁeːlɪts])は、ドイツ連邦共和国メクレンブルク=フォアポンメルン州メクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡にある町。メクレンブルク湖水地方のツィーアケ湖に面する。1738年から1918年までメクレンブルク=シュトレーリッツ大公国の首都であり、1918年から1934年まではメクレンブルク=シュトレーリッツ自由州の州都であった。1994年から2011年まではメクレンブルク=シュトレーリッツ地区の区庁があった。
Strelitz は「射手」を意味するポラーブ語の単語 Strelci に由来する[1][2]。
歴史
[編集]シュトレーリッツの名は1278年に初めて文献に登場し、当時は村であった。14世紀には小さな町となり、17世紀にはメクレンブルク=ギュストロー公国の一部となった。1695年にメクレンブルク=ギュストロー家が絶えると、1701年にメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の首都となった。メクレンブルク=シュトレーリッツ公国は現在のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ラッツェブルク周辺に飛地を持っていた。
1712年、火災により公の居城とシュトレーリッツ市街は焼失した。このため公はシュトレーリッツ北西のツィーアケ湖にあった狩猟小屋に避難したが、この周りに新市街としてノイシュトレーリッツ (ドイツ語の Neu は「新しい」の意) が建設された。1736年には正式にメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の首都に定められた。
ノイシュトレーリッツは1918年まで大公国の首都であり続け、さらに1933年までメクレンブルク=シュトレーリッツ自由州の首都であった。1934年にはメクレンブルク=シュヴェリーン自由州と合併してメクレンブルク州の都市となった。
シュトレーリッツの旧市街は1712年の火災後も残ったが、小さな村となり1931年にノイシュトレーリッツ郊外となった。
1945年4月30日に第2白ロシア戦線の赤軍部隊が侵攻した際には、市民681人が自殺した[3]。
観光スポットとモニュメント
[編集]市内中心部はバロック建築が特徴となっている。その中心は1768年から1778年にかけて建てられた市教会とマルクト広場、カルル・フリードリッヒ・シンケルの弟子フリードリヒ・W・ブッテルが1841年に建てた市庁舎である。
バロック様式のノイシュトレーリッツ宮殿は1945年に戦禍で破壊されたが、外壁は残っており再建は可能な状態だった。しかし封建主義の残滓として1949年に共産主義政権により爆破された。ドイツ再統一後、宮殿再建の声は絶えずあり、まず宮殿の庭園が整備されて2019年に公開された。同年、宮殿の尖塔の再建計画も始まり、その他の部分も将来の再建に向けての計画がある。夏の離宮として建てられた18世紀のオランジェリーや、1855年から1859年にかけて建てられたイギリス・ネオゴシック様式の宮廷教会、新古典様式のヘーベ寺院 (女神ヘーベー像のレプリカを安置)、さらに1891年にギリシャ神殿形式で建てられたルイーゼ神殿は一見の価値がある。ルイーゼ神殿は、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公家出身のプロイセン王妃ルイーゼ (フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妃でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の母) の墓所として建てられたものである。
グラムベック湖では、夏には保護区域内のみではあるが泳ぐことができ、湖を見下ろすレストランで昼食を摂ることもできる。
交通
[編集]ベルリン北部線およびノイシュトレーリッツ-ヴァーネミュンデ線の駅があり、ベルリンとロストックに直結している。
- グローサー・フュルステンゼーア湖
- グラムベック湖
- ギムナジウム・カロリナム
- ノイシュトレーリッツ市庁舎
- 港
- 市教会
- 宮廷教会
- 普仏戦争記念碑 (旧シュトレーリッツ市街)
エンターテインメント
[編集]2000年からイマーグート音楽祭が開催されており、毎年約5000人の訪問者がある。
出身者
[編集]- カール・ツー・ゾルムス=ブラウンフェルス (1812年–1875年)、オーストリア帝国軍およびヘッセン大公国軍で騎兵将校を務め、後年アメリカに渡りテキサス州コーマル郡ニューブローンフェルズを開拓した。
- アルベルト・ヴォルフ (1814年–1892年)、彫刻家。
- エミール・クレペリン (1856年–1926年)、現代精神医学の父とみなされる精神科医。
- ハンス・クント (1869年–1939年)、第一次世界大戦中のドイツ軍人。ボリビア政府の軍事顧問となり、チャコ戦争を指導した。
- フランツ・ラーデマッハー (1906年–1973年)、マダガスカル計画を発案した外交官。
- ヘルベルト・ヴァーグナー (1948年生)、キリスト教民主同盟の政治家、1990年から2001年までドレスデン市長。
国際関係
[編集]姉妹都市
[編集]ノイシュトレーリッツは以下の各都市と姉妹都市提携を結んでいる。
出典
[編集]- ^ Room, Adrian (2006). Placenames of the world: origins and meanings of the names for 6,600 countries, cities, territories, natural features, and historic sites (2 ed.). McFarland. p. 265. ISBN 978-0-7864-2248-7 17 March 2011閲覧. "The basic name is of Slavic origin and means '(settlement of the) archers/shooters,' from Old Slavic strela, 'arrow'."
- ^ ポーランド語では Strzelce といい、ポーランドにはこの名前の町が多数ある。
- ^ Lakotta (5 March 2005). “Tief vergraben, nicht dran rühren” (German). SPON. 16 August 2010閲覧。
- ^ “Schwäbisch Hall and its twin towns”. Stadt Schwäbisch Hall. 26 July 2013閲覧。