ブチャ
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ブチャ Буча | |||
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市 | |||
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座標:北緯50度33分27.15秒 東経30度13分36.17秒 / 北緯50.5575417度 東経30.2267139度座標: 北緯50度33分27.15秒 東経30度13分36.17秒 / 北緯50.5575417度 東経30.2267139度 | |||
国 | ウクライナ | ||
州 | キーウ州 | ||
地区 | ブチャ地区 | ||
市制 | 2006年 | ||
政府 | |||
面積 | |||
• 合計 | 26.57 km2 | ||
人口 (2021) | |||
• 合計 | 36,971人 | ||
• 密度 | 1,400人/km2 | ||
市外局番 | +380 4597 | ||
ウェブサイト | www |
ブチャ(ウクライナ語: Буча 、ウクライナ語発音: [ˈbut͡ʃa]、英語: Bucha)は、ウクライナのキーウ州の都市である。ブチャ地区の中心地。州の中部、首都キーウの郊外(西方25km)に位置する。人口は 3万6971人 (2021年)。市名は、イルピニ川の支流であるブチャ川にちなむ。史料での初見は1630年である[1]。2006年までは町であった。
2022年、ロシアによるウクライナ侵攻によって破壊された。キエフ攻勢の激しさから、キーウ州政府はブチャをイルピン、ホストメリ、ハイウェイM06、ヴィーシュホロドとともにキーウ州で最も危険な場所と名付けた[2]。ブチャはおよそ1か月にわたってロシア軍に占拠された後、ウクライナ側が同年4月1日までに奪還した。市内には多数の遺体が放置され、ロシア軍が地雷を仕掛けたと主張したこともあり、避難民の帰還は困難であると報じられた[3]。
画像
[編集]2022年ロシアのウクライナ侵攻前
[編集]- ブチャ市立公園
- ブチャの中心部にある、ブチャの象徴とも言える聖アンドリー教会 (2020年)
- 駅前通りにあるマイダンの英雄のモニュメント
- ブチャ駅
- 待合室
- ホーム
- シュタム邸
- ロカッチ川の氾濫原にある池
- ブチャの人々のおだやかな日常
- スタジアム
- アフガニスタン紛争のメモリアル
- 幼稚園
- サマーキャンプ場
- 人道主義研究所の卒業式
侵攻後
[編集]- →「ブチャの虐殺」も参照
姉妹都市
[編集]出典
[編集]- ^ Шевченко 2003.
- ^ “Буча, Ірпінь, Гостомель: Кулеба назвав найнебезпечніші місця Київської області”. Depo Kyiv. (2 March 2022) 5 March 2022閲覧。
- ^ 「奪還地域に多数の遺体 ウクライナ首都郊外のブチャ―ロシア軍、撤収時に地雷設置か」『時事通信』2022年4月3日。2022年4月20日閲覧。
参考文献
[編集]- Веремієнко О. В. Буча // Енциклопедія сучасної України, 2004.Т. 3.
- Шевченко Л. В. Буча // Енциклопедія історії України, 2003. Т. 1
- Похилевич Л. Сказания о населенных местностях Киевской губернии. Киев, 1864
- Буча // Історія міст і сіл УРСР. Київська область. Київ, 1971.