ヴェーパチッティ

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ヴェーパチッティパーリ語ラテン転写:Vepacitti)とはインド神話、仏教におけるアスラの王である。毘摩質多羅阿修羅王(びましったらあしゅらおう)ともいう。同じアスラの王であるラーフに語りかける場面とインドラに幻術で病を治すことを断った説話で有名である。初期経典のSaṃyutta-Nikāyaの第二章Devaputta-saṃyutta第九経、第十経のCandinaに登場する[1]。パーリ語文献では六道を認めずヴェーパチッティアスラ衆は天界に属する[2]

その時、神の子である月[の神]がアスラの王ラーフに(Rāhumā asurindena)に補えられていた。そこで神の子である月[の神]が世尊[3]を思い出してその時に次の詩をうたった。

『勇者ブッダよ,あなたに帰依します。あなたはあらゆる点で解脱されています。私は障碍に身を委ねております。[どうぞ]この私の拠り所となってください。』 そこで,世尊は月[の神]に関して、アスラの王ラーフに次の詩をうたい語りかけた。 『如来であり,尊敬されるに相応しい[この私]に月[の神]は帰依した。ラーフを月を解き放ってやれ。ブッダたちは世の人々を慈しむものなのです。』 そこで,アスラの王ラーフは神の子である月[の神]を解き放ち,急いでアスラの王ヴェーバチッティ[4]のところに行った。近づいて,髪の毛も逆立つくらい恐れおののきながら一方の端に立った。一方の端に立ったアスラの王ラーフにアスラの王ヴェーバチッティ[4]は次の詩をうたい語りかけた。 『ラーフよ,おまえはどうしてそんなに急いで月を解き放ったのか。恐れおののきながらやって来て,どうして恐ろしそうに立っているのか。』 [それに答えて,ラーフは次の詩をうたった。] 『もしも月[の神]を解き放なければ,私の頭は七つに裂けてしまうでしょう。[そして]生きたとしても決して安楽は得られないでしょう。私はブッダに詩で語りかけられた(abhig ī to)のですから』

と。 — 並川 孝儀 、 「ラーフラ(羅睺羅)の命名と釈尊の出家」 『佛教大学総合研究所紀要』(4)、1997年、p.27[5][6][7]
一 [或るとき尊師は]サーヴァッティー市[8]のうちの[ジェータ林[9]にとどまっておられた。]

二  尊師は次のように言われた、―

三 「修行僧たちよ、昔、阿修羅の主であるヴェーパチッティは、病いにかかり、苦しみ、病患が激しかった。

四 そのとき、神々の主であるサッカ[10]は、病気を見舞うために阿修羅の主ヴェーパチッティのところに赴いた。

五 ときに、阿修羅の主であるヴェーパチッティは、神々の主サッカが遠くからやってくるを見た。見てからあとで、神々の主サッカに次のように言った。―『神々の主よ、私の病いを癒してくれ』

六 [サッカいわく、―]『ヴェーパチッティよ。サンバラの幻術[11]をわれに知らせよ』

七 『ではまず諸々の阿修羅に尋ねて話をつけましょう』

八 そこで阿修羅の主ヴェーパチッティは、諸々の阿修羅に尋ねて打ち合わせた。―『私は神々の主サッカに、サンバラの幻術を教えてよいのだろうか?』と。

九 [諸々の阿修羅いわく、―]『あなたは、神々の主サッカにサンバラの幻術を知らせてはなりませぬ。』

一〇 そこで阿修羅の主ヴェーパチッティは、神々の主サッカに詩を以て語りかけた、―

『マガヴァー[10]よ。サッカよ。神々の王よ。スジャー妃[12]の夫よ。幻術も、恐ろしい地獄に近づく。[そのために]サンバラは百年も[地獄に堕ちたのだ]』[13] — 中村元 訳、 『ブッダ悪魔との対話』 岩波書店1986年、pp.294-295

 なお、ヴェーパチッティは帝釈天と論争し、負けたことがある[14]

脚注[編集]

  1. ^ またSuriyoにも見られる。並川 孝儀「ラーフラ(羅睺羅)の命名と釈尊の出家」 『佛教大学総合研究所紀要』(4)、1997年、p.27より
  2. ^ 西谷功「パーリ文献を中心としたアスラの諸相」『龍谷大学大学院文学研究科紀要』 (25)、218、2003年 p.219より
  3. ^ 「世尊」とは釈尊の敬称の事である
  4. ^ a b 原文ママ
  5. ^ なおciniiでは「ラーフラ(羅■羅)の命名と釈尊の出家」と表示される
  6. ^ またSuriyoの場合は「月の神がラーフに捉えられる」という部分が「日の神がラーフに捉えられる」という部分だけ変わり、それ以外は同一内容である。並川 孝儀「ラーフラ(羅睺羅)の命名と釈尊の出家」 『佛教大学総合研究所紀要』(4)、1997年、p.28より
  7. ^ 第九経、第十経のCandinaの出典はSaṃyutta-Nikāya(PTS版)Vol.1p.50、『雑阿含経』大正蔵2巻p.155・a-bとしている。なお筆者は『大智度論』にもこの経と同じ伝承が見られるという。大正蔵25巻p.135・b であるという。並川 孝儀「ラーフラ(羅睺羅)の命名と釈尊の出家」 『佛教大学総合研究所紀要』(4)、1997年、p.28より
  8. ^ サーヴァッティー市とは舎衛城の事である
  9. ^ ジェータ林とは祇園精舎の事である
  10. ^ a b バラモン教やヒンズー教におけるインドラの事。仏教では帝釈天
  11. ^ 「サンバラの幻術」とは中村元は『ブッダ悪魔との対話』 注釈六にて「『サンバラの幻術』―Śambari-māyā. 後代のタントラ教及び真言密教ではŚambalaは重要な神的存在となった。しかし『雑阿含経』の相当箇所では、『毘摩質多(Vemacitta)の幻法』となっている。伝承が異なっているのである。」と説明している。中村元訳『ブッダ悪魔との対話』岩波書店1986年、p.422より
  12. ^ ヒンズーではシャチー、仏典では舎脂の事
  13. ^ 中村元は『ブッダ悪魔との対話』 注釈一〇にて「……地獄に落ちたのだ― この一節から見ると幻術を使うことは原始仏教では禁止したのである。また禁止の思想が仏教外の若干方面にも存在していたことが知られる」と説明している。中村元訳『ブッダ悪魔との対話』岩波書店1986年、p.422より
  14. ^ 中村元訳「ブッダ悪魔との対話」岩波書店、1986年、pp260-264.より。

参考文献[編集]

  • 西谷功「パーリ文献を中心としたアスラの諸相」『龍谷大学大学院文学研究科紀要』 (25)、218、2003年
  • 並川孝儀 「ラーフラ(羅睺羅)の命名と釈尊の出家」 『佛教大学総合研究所紀要』(4)、1997年
  • 中村元訳「ブッダ悪魔との対話」岩波書店、1986年