上々颱風

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上々颱風
別名 紅龍&ひまわりシスターズ
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横須賀市
ジャンル 民族音楽
活動期間 1980年 - 2013年,2022年
レーベル EPIC SONY RECORDS
ゆうげい社
エムアンドアイカンパニー
バウンディ
公式サイト 上々颱風オフィシャルHP
メンバー 紅龍(三線バンジョーボーカル
白崎映美(ボーカル)
西川郷子(ボーカル)
渡野辺マント(ドラム
猪野陽子(キーボード・ボーカル)
西村直樹(ベース
旧メンバー 安田尚哉(ベース)
後藤まさる(パーカッション・鳴り物・篠笛)
吉田よしみ(キーボード)

上々颱風(シャンシャンタイフーン、Shang Shang Typhoon)は日本音楽集団。

概要[編集]

バンジョー三味線を張った「三線バンジョー」の演奏を基本に、ドラムベースギターキーボードのみならず、篠笛団扇太鼓などの和楽器チャングケンガリ朝鮮語版といった民族楽器など、通常のバンドでは見られない楽器と、琉球音階などアジア民謡を取り入れたいわゆる「無国籍音楽」を女性二人の「ツインボーカル」という独特のスタイルにより演奏される楽曲は「ちゃんちきミュージック」と自称し、多彩な衣装を特徴として日本のみならず世界各地の市場寺社、ときには特別支援学校や講演会場など、通常はコンサート会場として使用されないような場所でも行っている。 そのオリエンタルな作風からメンバーは、奄美沖縄出身と思われがちであるが、東日本地区出身者である。

沿革[編集]

1980年、紅龍が西川郷子らと共に横須賀市で結成した「紅龍&ひまわりシスターズ」が母体。以後ライブハウスなどで徐々に人気を伸ばし、1986年に現在の上々颱風に改称した。

1990年EPIC/SONY RECORDSから1stアルバム『上々颱風』を発売。メジャー・デビューとしては異例の10万枚を売上、デビュー曲「流れのままに」はその後、エースコックカップラーメンCMソングに使用された。

木の実ナナ主演のミュージカル『阿国 OKUNI』に「出雲阿国一座」のメンバーとして出演。使用楽曲のほとんどが1stアルバム『上々颱風』を基本にしていることもあり、メンバーが要所要所で登場する。

この頃大阪市西成区にある「萩之茶屋南公園(通称:三角公園)」で演奏した際には大きな話題となった。

1991年、日本航空沖縄キャンペーン「上々沖縄(しゃんしゃん・おきなわ)」のCMに3rdシングル「愛より青い海」が使われ、メンバーも出演。

住友生命の商品「どくしん時代」のCMではメンバーが「入った人だけ守ってあげる どくしん時代」と歌いながら登場し、話題になった[1]

1994年、スタジオジブリ製作のアニメ映画平成狸合戦ぽんぽこ』の作中音楽とテーマ曲「アジアのこの街で」・「いつでも誰かが」を担当。更に人気を博す。

その後も当初のスタンスの演奏活動を続けるが、日本のバンドが目標とする武道館でのコンサート開催などをすることはなかった(ただし、一度だけシンディ・ローパーの武道館公演には出演)。

2013年2月3日、公式サイトにて無期限活動休止を発表。理由は、リーダー・紅龍が病気療養のため(病名については紅龍曰く「ややデリケートな問題も含み、情報の開示は控えさせていただきたい」などの理由により公表していない)。活動再開の時期は未定だが、解散については否定している[2]

2022年11月19日、山形県酒田市酒田市民会館希望ホールにて開催された「白崎映美還暦大感謝祭 MOKKEDANO!!」において2013年活動休止時点のメンバーが10年ぶりに再結集、コンサート活動が一日限りで再開され、紅龍作詞作曲の新曲「生まれたままに」も披露された[3]

コンサート会場について[編集]

日本国内では離島、市場、芝居小屋、寺社、教会、廃止となった東京大学の学生寮の風呂場など、通常はコンサート会場として使用されないような場所で公演を行なうことで知られる。

海外ではタイマレーシアフィリピンフランスなどで演奏し、その様子は時々NHKのBS放送で放映されたほか、ビデオ「ベガラシャガラ ライブあれこれ」で観ることができる。

毎年7月7日前後(年によっては8月)に花園神社でライブを開催していた。

通常のコンサート会場として利用されるところでもライブを行うことはあるが、1993年に行われた中野サンプラザでの公演では座っている観客が多いなどの反応の悪さに、ボーカルの白崎映美が「中野サンプラザのイスはそんなに居心地がいいですか」「それでは上々颱風演奏会をお楽しみください」と発言したこともあった。

上々颱風祭について[編集]

かつて8月下旬(1990年のみ9月)の土日に野外コンサート「上々颱風まつり」を開催。会場は1996年まで東京都潮見駅近くにあったウッディランド東京で行われたが、会場の都合でその後は1997年には東京臨海副都心(愛称「レインボータウン」)の野外特設ステージ(江東区有明)で、1998年からは「上々颱風パラダイス」と改称し神奈川県藤沢市遊行寺で9月に行われた。

タイトルに「まつり」とあるとおり会場には屋台やバナナの叩き売り南京玉簾などのコーナーもあってライブとの二部構成となっており、またメンバーも屋台に顔を出しに来て観客と談笑するなどのシーンが見られた。しかし天候に恵まれないことがよくあり、1994年は土曜日のライブが演奏途中に豪雨で中止に、1997年には開場時の炎天下から想像できないほどの大雨に見舞われるという事態もあった。また通常は土曜日と日曜日の2回公演であったが、1991年は金曜日から3回実施。しかし白崎映美がMCで「きょうは労働者の方がお休みでないせいか少ないですね」といったようにこの年だけの開催であった。

ライブの特徴について[編集]

ライブ開始時・終了時にはバンドの「テーマソング」を歌う。「ほんとのことをいえば とっても退屈なの」で歌いだすオープニングと「まいどみなさまありがとう ちょうど時間となりました」で終わる構成は、どの会場でも同じであるが、オープニングのみ別の演出をすることもある。

またエンディングテーマが終わったあと、他のバンドの場合と同様に観客からアンコールの要求がかかるが、一般的な「アンコール!アンコール!」の連呼や再登場を促す手拍子ではなく、「もっともっと もっともっとぉ~」と掛け声がかかる。この「もっともっとコール」は1991年に横浜市みなとみらい地区にある「臨港パーク」で行われたライブで発生したといわれるが、それ以前から使われていたとの声もある。

ボーカルの白崎映美がエキゾチックな風貌に不釣合いな庄内なまりで話すMCも人気を得ている。(その方言は地元NHK山形放送局の『今夜はなまらナイト』に出演した際も展開され、2009年に同番組のレギュラーになった)

活動休止前のメンバー[編集]

活動休止前に脱退したメンバー[編集]

  • 安田尚哉(やすだ・なおや:やっさん) - ベース
  • 後藤まさる(ごとう・まさる) - パーカッション鳴り物篠笛
  • 吉田よしみ(よしだ・よしみ) - キーボード(猪野陽子が一時的に脱退していた期間に所属)

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  発売日 タイトル 規格品番 備考
1st 1990.7.21 流れのままに ESDB-3140 エースコック『みそ太郎・きつね太郎』CMソング
2nd 1990.10.21 仏の顔も It's All Right ESDB-3160
3rd 1991.2.21 愛より青い海 ESDB-3190 JAL『沖縄キャンペーン'91』CMソング
4th 1991.8.23 Let it be ESDB-3235
5th 1992.3.25 花のように鳥のように ESDB-3285
6th 1992.9.21 秋刀魚の唄 ESDB-3330
7th 1993.4.21 いつでも誰かが ESDB-3380 光和インターナショナル映画『夜逃げ屋本舗2』主題歌
スタジオジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』エンディングテーマ
8th 1993.6.23 銀の琴の糸のように ESDB-3393 NTV系「関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!」エンディングテーマ
9th 1993.10.21 愛があるから大丈夫 ESDB-3433
10th 1994.3.21 守ってあげる ESDB-3458 住友生命「どくしん時代」CMソング
11th 1994.7.1 アジアのこの街で ESDB-3493 スタジオジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』オープニングテーマ
12th 1995.1.21 My Girl ESDB-3544
13th 1996.7.22 鳥の歌 ESDB-3687
14th 1996.12.21 アヴェ・マリア ESDB-3742 NTV系アニメ「イーハトーブ幻想〜KENjIの春」主題歌
15th 1997.6.1 新しい日~A New Day~ ESDB-3765
16th 1998.8.21 翼がほしい ESDB-3852 TX系ドラマ「素晴らしき家族旅行」主題歌
17th 1998.10.1 もしも爺さんになったなら ESDB-3871 映画「大往生」主題歌
2002.10.17 青空 MYCD-20005 上々颱風with野村邦丸
18th 2007.11.21 歌いながら夜を往け! MYCD-20013 TBSテレビ系ドラマ「熱血ニセ家族」主題歌

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

  発売日 タイトル 規格品番 備考
1st 1990年7月21日 上々颱風 ESCB-1090
2nd 1991年3月21日 上々颱風2 ESCB-1140
3rd 1992年3月25日 上々颱風3 ESCB-1290
4th 1993年6月23日 愛があるから大丈夫 ESCB-1408
5th 1994年9月21日 八十日間亜州一周 ESCB-1512
6th 1996年7月22日 た・め・ご・ま ESCB-1769
7th 1997年6月21日 GNAHS GNAHS ESCB-1820 以上、EPIC/SONY RECORDS
8th 2000年7月2日 SHANG SHANG TYPHOON 8 YW-S001 ゆうげい社
9th 2001年9月19日 上々颱風9 心の花 MYCD-30117
10th 2005年5月18日 Shang Shang A Go Go! MYCD-30328
11th 2006年6月7日 上々颱風11 あったりまえだ。 MYCD-30383
12th 2009年3月18日 上々颱風12 土民の歌 MYCD-30498 以上、エムアンドアイカンパニー

ライブ[編集]

  1. 上々颱風 パラダイスライブ!(2001年2月21日 エムアンドアイカンパニー)[9]
  2. 上々颱風 JIROKICHI DAYS 1988(2004年7月11日 エムアンドアイカンパニー)[10]
  3. アジアが一番(2004年7月11日 復刻版[11]+秘蔵ライヴ録音)[12]

ベスト・アルバム[編集]

  1. 上々颱風名曲撰1(2005年12月14日 エムアンドアイカンパニー)
  2. GOLDEN☆BEST(2009年6月10日 ソニー・ミュージックダイレクト
  3. 風の祭り~CARNAVAL~(2010年12月8日、バウンディ)[13]
  4. SHANG SHANG TYPHOON COMPLETE BOX(2015年12月24日 ソニー・ミュージックダイレクト[14]

その他[編集]

  1. 平成狸合戦ぽんぽこサウンドトラック(1997年4月21日 徳間ジャパンコミュニケーションズ
  2. サウンドシアター「阿国」(2003年6月25日 toera)

ビデオ[編集]

  1. ベガラシャガラ ライブあれこれ(1992年 EPIC SONY)
  2. 上々饗 〜しゃんしゃんぶり〜(2004年 エムアンドアイカンパニー)

書籍[編集]

  • 上々颱風主義(上々颱風、森口秀志著、昌文社、1994年)

テレビドラマ出演[編集]

活動休止後[編集]

白崎映美は上々颱風が活動休止した後に「白崎映美&とうほぐまづりオールスターズ」というグループを結成。当グループは、後の2015年に「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」と改名[15]し、活動している。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「CF撮影余話(住友生命)」『近代企業リサーチ 3月10日』第700号、中小企業経営管理センター事業部、1994年3月10日、77頁、NDLJP:2652201/39 
  2. ^ 上々颱風、無期限活動休止 リーダー紅龍の病気療養で - オリコン(2013年2月3日18:15)2013年2月3日23:05閲覧。
  3. ^ 上々颱風、酒田で復活 - 朝日新聞デジタル (2022年11月20日11:00) 2022年11月25日10:20閲覧
  4. ^ バンジョー三味線を張った独自の楽器
  5. ^ 紅龍(こうりゅう)”. KADOKAWA. 2023年6月27日閲覧。
  6. ^ 白崎映美(しらさきえみ)”. KADOKAWA. 2023年6月27日閲覧。
  7. ^ 西川郷子(にしかわさとこ)”. KADOKAWA. 2023年6月27日閲覧。
  8. ^ 猪野陽子(いのようこ)”. KADOKAWA. 2023年6月27日閲覧。
  9. ^ 上々颱風パラダイスライブ!
  10. ^ 上々颱風 / JIROKICHI DAYS 1988 - CDJournal
  11. ^ 紅龍&ひまわりシスターズ時代の作品
  12. ^ 紅龍 & ひまわりシスターズ/アジアが一番 - TOWER RECORDS
  13. ^ 風の祭り~CARNAVAL~ | 上々颱風 - ORICON NEWS
  14. ^ 上々颱風~30周年特別企画~ - OTONANO by Sony Music Direct (Japan) Inc.
  15. ^ 酒田市出身歌手の白崎映美さんが新ユニットでCD販売へ 酒田弁で歌うシャンソンなど収録”. 山形経済新聞. 2020年7月28日閲覧。

外部リンク[編集]