下目黒

ウィキペディアから無料の百科事典

日本 > 東京都 > 目黒区 > 下目黒
下目黒
町丁
権之助坂(目黒通り
地図北緯35度37分44秒 東経139度42分29秒 / 北緯35.628753度 東経139.707961度 / 35.628753; 139.707961
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 目黒区
人口情報2025年(令和7年)3月1日現在[1]
 人口 22,161 人
 世帯数 12,789 世帯
面積[2]
  0.970458187 km²
人口密度 22835.61 人/km²
郵便番号 153-0064[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 品川
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

下目黒(しもめぐろ)は、東京都目黒区の地名。現行行政地名は下目黒一丁目から下目黒六丁目。住居表示実施済区域。

地理

[編集]

目黒区東部地区に属する[5]。北で目黒一・二・三・四丁目、東で品川区上大崎四丁目、南で品川区西五反田三・四丁目、南西で品川区小山台一・二丁目、西で目黒本町一丁目、北西で中町一丁目と接する。町域の東部には平安時代前期の創建とされる瀧泉寺(目黒不動)があり、毎月28日の縁日には多くの人出で賑わいを見せる。

一丁目と三丁目は坂が多い。中でも行人坂は都内屈指の急坂であり、歩行者用の手摺りが取り付けられている。

目黒駅を出発し、坂の町である一丁目を下ると目黒川で、目黒川を越すと平坦な二丁目。山手通りを越すと今度は上りになって三丁目。三丁目の先は四丁目から六丁目まで順に並び、四丁目から六丁目はおおむね平坦である。

河川

[編集]

[編集]
  • 権之助坂(一丁目)
  • 行人坂(一丁目)
  • 三折坂(三丁目)
  • 石古坂(三丁目)
  • 男坂 女坂(目黒不動境内)(三丁目)

地価

[編集]

住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、下目黒2-10-10の地点で97万円/m2、下目黒5-16-17の地点で97万30000円/m2となっている[6]

歴史

[編集]
葛飾北斎富嶽三十六景』より「下目黒
歌川広重名所江戸百景』より「目黒太鼓橋夕日の岡」

江戸時代の下目黒は下目黒村を形成し、米・麦・菜・タケノコなどを栽培する普通の農村であったが、下目黒村でも一部、大鳥神社や目黒不動(瀧泉寺)を中心とする寺社群は江戸町民が多く参詣する門前町を形成し茶屋・料理屋・土産物屋で繁盛していた。これらを訪れる目黒詣では江戸市民の四季折々の楽しみとして賑わい、行人坂権之助坂は参詣及び下目黒村の農産物を運ぶ道として交通が多かった[7]

目黒一帯は江戸時代から明治にかけてタケノコの名産地として知られていた。目黒不動の門前の数軒の茶屋ではタケノコ飯が名物として、タケノコの旬にはこれが目当てで参詣する人が多かったとされる[8]。行人坂を下りて目黒川目黒太鼓橋で渡り、門前まで至る1kmほどの道の両側には、タケノコ飯の他に粟餅や飴などの店が並んでいた[9]

門前町は明治時代には行楽地から花街に変貌し、五百羅漢寺成就院(蛸薬師)の間には多くの料亭があった。大正時代半ばからは市街地化が急速に進んだ[9]

地名の由来

[編集]

下目黒の地名は旧来の下目黒村に由来する。「目黒」の地名の由来は諸説あり定かでない。瀧泉寺に祀られる不動明王に由来するともいう。

河川

[編集]

目黒川の支流である羅漢寺川が下目黒を西から東に横断していたが、1960年代後半から1980年代半ばにかけて暗渠化された[9]。また、羅漢寺川の支流である六畝ろくせ川と入谷川が下目黒を北から南に縦断していたが、これらも現在は暗渠になっている。

目黒花壇・苔香園

[編集]

現在の下目黒四丁目の南部に存在した、入谷川の水を利用した[9]庭園。1902年(明治35年)頃に開園し、1920年(大正9年)頃に閉園した。明治時代には向島百花園と並ぶ野趣あふれる庭園として知られていた。

目黒競馬場

[編集]

現在の下目黒四丁目~六丁目付近に存在した競馬場。1907年明治40年)開場、宅地化の波に押され1933年昭和8年)閉場。その役割は現在の東京競馬場府中市)に引き継がれている。

目黒通りを走る東急バス「元競馬場前」停留所近くには、目黒競馬場跡を示す戦前の大種牡馬であるトウルヌソルの銅像が建てられている。

大円寺

[編集]

行人坂の途中にある大円寺は、明和九年(1772年)の江戸の大火事・明和の大火の火元になったことで知られる寺である。幕末に再建を許された大円寺は現在は都内唯一の石造り五百羅漢で知られ、五百羅漢は都の文化財になっている。本尊の釈迦如来来立像は国の重要文化財である[10]

柳通り

[編集]

下目黒二丁目を南北に貫く柳通りは、戦前に東京市市電路線を延長するために買収した軌道敷用地であった。1944年(昭和19年)に既存の路線自体が廃止になったために戦後、そのまま道路になった[11]

町名の変遷

[編集]
実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
下目黒一丁目 1967年3月1日 下目黒1〜4
下目黒二丁目 下目黒1〜4
下目黒三丁目 下目黒1〜4
下目黒四丁目 下目黒1〜4
下目黒五丁目 下目黒1〜4
下目黒六丁目 下目黒1〜4

世帯数と人口

[編集]

2025年(令和7年)3月1日現在(目黒区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
下目黒一丁目 933世帯 1,391人
下目黒二丁目 4,153世帯 6,516人
下目黒三丁目 2,496世帯 3,829人
下目黒四丁目 1,559世帯 2,874人
下目黒五丁目 1,937世帯 3,955人
下目黒六丁目 1,711世帯 3,596人
12,789世帯 22,161人

人口の変遷

[編集]

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[12]
15,675
2000年(平成12年)[13]
16,419
2005年(平成17年)[14]
17,731
2010年(平成22年)[15]
18,854
2015年(平成27年)[16]
20,459
2020年(令和2年)[17]
22,564

世帯数の変遷

[編集]

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[12]
7,344
2000年(平成12年)[13]
8,364
2005年(平成17年)[14]
9,379
2010年(平成22年)[15]
9,790
2015年(平成27年)[16]
10,973
2020年(令和2年)[17]
12,287

学区

[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2025年4月現在)[18]

丁目 番地 小学校 中学校
下目黒一丁目 全域 目黒区立下目黒小学校 目黒区立大鳥中学校
下目黒二丁目 全域
下目黒三丁目 全域
下目黒四丁目 全域 目黒区立不動小学校
下目黒五丁目 全域
下目黒六丁目 全域

交通

[編集]

鉄道

[編集]

地内に駅は置かれていないが以下の駅が利用できる。

バス

[編集]
東急バス

道路・橋梁

[編集]
道路
橋梁
  • 目黒新橋

事業所

[編集]

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]

丁目 事業所数 従業員数
下目黒一丁目 194事業所 9,464人
下目黒二丁目 264事業所 3,380人
下目黒三丁目 171事業所 1,581人
下目黒四丁目 68事業所 414人
下目黒五丁目 93事業所 368人
下目黒六丁目 85事業所 774人
875事業所 15,981人

事業者数の変遷

[編集]

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[20]
783
2021年(令和3年)[19]
875

従業員数の変遷

[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[20]
13,515
2021年(令和3年)[19]
15,981

施設

[編集]

在外公館

[編集]
パプアニューギニア大使館

官公庁

[編集]
  • 目黒消防署

教育

[編集]

福祉

[編集]

公園(主なもの)

[編集]

文化・スポーツ

[編集]

企業・商業施設

[編集]
目黒川とアルコタワー(正面)、目黒雅叙園(右)
イメージスタジオ109本社

寺社・教会

[編集]

かつて存在した施設

[編集]

史跡

[編集]
お七の井戸(2018年1月21日撮影)

その他

[編集]

日本郵便

[編集]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口表 - 令和7年3月1日現在人口”. 目黒区 (2025年3月3日). 2025年5月11日閲覧。(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2025年5月11日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 下目黒の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 地区・住区区域 中目黒、三田、目黒、下目黒、中町、五本木、祐天寺、中央町、目黒本町”. 目黒区 (2013年10月1日). 2021年5月2日閲覧。
  6. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2025年3月19日閲覧。
  7. ^ 山本和夫「目黒区史跡散歩」学生社、pp.65-67
  8. ^ JA東京中央会企画発行、農山漁村文化協会編集『江戸東京農業名所めぐり』2002年、pp.136-137
  9. ^ a b c d 本田創『水のない川 暗渠でたどる東京案内 Kindle版』山川出版社、2022年、48-61頁。 
  10. ^ 山本和夫「目黒区史跡散歩」学生社、p.68
  11. ^ 目黒のみち 電車道”. 目黒区 (2014年1月31日). 2023年11月1日閲覧。
  12. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  13. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  14. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  15. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  16. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  17. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  18. ^ 町名50音順 通学区域”. 目黒区 (2025年4月1日). 2025年5月11日閲覧。
  19. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  20. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  21. ^ 過去には多数の直営施設があったが、2020年現在は当地と福岡県福岡市早良区の「ヤマハ西新センター」のみとなった。
  22. ^ ヤマハ目黒センター - ヤマハ音楽振興会、2020年5月19日閲覧。
  23. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年5月9日閲覧。

外部リンク

[編集]