久保田鶴松
ウィキペディアから無料の百科事典
久保田鶴松 くぼた つるまつ | |
---|---|
| |
生年月日 | 1900年10月15日 |
出生地 | 日本 大阪府中河内郡高安村 (現・大阪府八尾市) |
没年月日 | 1984年1月12日(83歳没) |
所属政党 | (日本社会党→) (左派社会党→) 日本社会党 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
第42代 衆議院副議長 | |
在任期間 | 1960年12月7日 - 1961年6月8日 |
衆院議長 | 清瀬一郎 |
選挙区 | 旧大阪4区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1947年4月25日 - 1969年12月2日 1972年12月10日 - 1976年12月9日 |
当選回数 | 3回 |
久保田 鶴松(くぼた つるまつ、1900年10月15日 - 1984年1月12日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(10期)。元衆議院副議長。大阪府中河内郡高安村(現八尾市)出身。
人物
[編集]1921年(大正10年)に大正動力供給に入り、大阪労働学校に学んだ後、1926年に日本労働組合総連合結成に参加、執行委員となる。戦後は社会党に入党[1]。
大阪府議会議員(3期)を経て、1947年衆議院議員総選挙に旧大阪4区から日本社会党公認で立候補し初当選。左右分裂時は左派社会党に属した。党代議士会長などを経て、1960年12月7日衆議院副議長に就任したが、1961年6月8日に与党自由民主党から、「農業基本法案や政治的暴力防止法案等といった重要法案の審議にあたって清瀬一郎議長に協力しなかった」という理由で不信任決議案を提出され[2]、賛成207票・反対150票で可決された後、辞任した[3]。日本国憲法下において、国会正副議長への不信任決議が可決されたのは久保田だけである。またこれ以降、1976年のロッキード選挙後に三宅正一が副議長に就任するまで、国会の副議長ポストは与党・自民党の中堅議員が勤めるポストとなっていた。
1984年1月12日、肺炎のため死去。83歳。
脚注
[編集]- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “久保田鶴松とは”. コトバンク. 2020年11月22日閲覧。
- ^ “国会会議録検索システム”. kokkai.ndl.go.jp. 2020年11月22日閲覧。
- ^ “衆議院歴代議長・副議長一覧”. www.shugiin.go.jp. 2022年7月20日閲覧。
議会 | ||
---|---|---|
先代 中村高一 | 衆議院副議長 第42代:1960年 - 1961年 | 次代 原健三郎 |
先代 森三樹二 | 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 | 次代 島上善五郎 |