五十嵐敬之助
ウィキペディアから無料の百科事典
五十嵐 敬之助(いそあらし けいのすけ、1884年11月1日 - 1964年2月12日[1])は、現在の千葉県印西市出身[2]で勝ノ浦部屋に所属した力士。本名は宮澤 啓助(旧姓椎名)。7代勝ノ浦。164cm、83kg。最高位は西前頭4枚目。
経歴
[編集]染物屋に奉公していたが、元力士の兄の世話で入門した。1902年5月新序、1909年1月十両昇進、2場所連続好成績で1910年6月滝ノ音の四股名で入幕を果たす。入幕2場所目に前頭4枚目まで昇進したがそれ以降は幕内下位に甘んじた。小兵だったが小手投げ、押しを得意とし、櫓投げや内無双もあった。1911年に後援者の名から五十嵐に改名。1914年には師匠の御舟潟の名を継ぎ、幕下に陥落した1917年5月に引退し、7代勝ノ浦を襲名、年寄として一時部屋も経営し、44年間在職し1961年1月に定年制実施で76歳で退職した。年寄在職途中、時津風部屋付きとなった[3]。
成績
[編集]- 幕内10場所30勝45敗9分預16休
- 通算15場所43勝57敗11分預16休
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
1902年 (明治35年) | x | 新序 – | ||||
1903年 (明治36年) | 西序ノ口6枚目 – | x | ||||
1904年 (明治37年) | x | x | ||||
1905年 (明治38年) | x | x | ||||
1906年 (明治39年) | x | x | ||||
1907年 (明治40年) | x | x | ||||
1908年 (明治41年) | 西幕下25枚目 – | 東幕下15枚目 – | ||||
1909年 (明治42年) | 西十両10枚目 5–1 2預 | 西十両2枚目 5–2 1預 | ||||
1910年 (明治43年) | 西前頭12枚目 4–1 2分1預 | 西前頭4枚目 3–5 | ||||
1911年 (明治44年) | 西前頭9枚目 4–3 1分 | 西前頭7枚目 2–7 | ||||
1912年 (明治45年) | 東前頭14枚目 4–6 | 西前頭12枚目 2–6 2預 | ||||
1913年 (大正2年) | 西前頭15枚目 4–6 | 東前頭15枚目 3–5 1分1預 | ||||
1914年 (大正3年) | 東前頭18枚目 4–6 | 西前頭15枚目 0–0–10 | ||||
1915年 (大正4年) | 東十両3枚目 3–4 | 東十両13枚目 0–5 | ||||
1916年 (大正5年) | 西幕下6枚目 0–3 | 西幕下23枚目 – | ||||
1917年 (大正6年) | 東幕下14枚目 0–0–0 | 西幕下12枚目 引退 0–0–10 | ||||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名
[編集]- 荒獅子 啓市 1903年1月場所 -
- 滝ノ戸 啓市 1905年1月場所 -
- 滝ノ音 啓五郎 - 1910年6月場所
- 五十嵐 敬之助 1911年2月場所 - 1913年5月場所
- 御舩潟 大五郎 1914年1月場所 - 5月場所
- 御舟潟 啓五郎 1915年1月場所 - 1917年5月場所
出典
[編集]- ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3604&l=j
- ^ “千葉県出身の幕内力士”. 千葉県ホームページ. 2020年2月25日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709